六地蔵巡り


京都では、8月22日・23日の両日に、旧街道の6ヵ所にあるお地蔵さんを巡拝して、
家内安全、無病息災を祈願する「六地蔵巡り」が行われる。
各寺で授与された6種のお幡(はた)を家の入り口に吊すと、
厄病退散、福徳招来すると言われており、800年も続いている伝統行事だ。

8月22日・23日は混雑するからあえて避けて、14日・15日に行ってきた。

6つの地蔵尊は、街道・寺社名(エリア)・地蔵名の順に書くと、以下の通り。
1.奈良街道−大善寺(伏見区)−伏見六地蔵
2.西国街道−浄禅寺(南区)−鳥羽地蔵
3.丹波街道−地蔵寺(西京区)−桂地蔵
4.周山街道−源光寺(右京区)−常盤地蔵
5.若狭街道−上善寺(北区)−鞍馬口地蔵
6.東海道 −徳林庵(山科区)−山科地蔵

なお、巡拝の順序に決まりはなく、どこから始めても良いそうだ。
そこで、ここでは、我々が巡拝した順番に写真を入れてみる。


先ずは、北区の上善寺から。
第一番六地蔵尊と読める。


上善寺の地蔵堂。六角のお堂である。


何より、本堂も入れておかなくては。


境内には、たくさんのお地蔵さんが…。


次は、山科区の徳林庵へ。
「徳林庵」と書かれた後ろに地蔵堂がある。
分かり難いが、やはり、六角堂である。


六角堂の裏手にお地蔵さん6体が祀られている。


3番目は、伏見区の大善寺へ。
六地蔵尊と書かれている。


大善寺の地蔵堂も六角堂だ。


境内にはやはりたくさんのお地蔵さんが…。


8月22日・23日の「六地蔵巡り」の日には、
地蔵菩薩像が安置されている地蔵堂の戸板が外され、
直接参拝することができるそうだが、
この日は、地蔵菩薩像を拝むことはできなかった。

が、ここ大善寺では、お賽銭を入れる小さな窓から
地蔵菩薩像を写真に撮って遠くから拝むことができた。
(写真を撮って良いかどうかは当日ではないので分からないが、
ネットでは写真を載せているページを見たので良しと判断した)


第1日目14日の最後は右京区の源光寺。


源光寺の六角の地蔵堂。


左は、等身大くらいの「福徳観世音菩薩」。
右は、右膝を立てている「如意輪観音」さま。

源光寺は義経の母である常盤御前ゆかりの尼寺で、
源光寺本堂の本尊は観音菩薩だそうで、
それで、境内に様々な石造の観音菩薩像が安置されている。


第2日目15日の最初は西京区の地蔵寺。
桂地蔵寺の桂六地蔵尊と書かれている。


境内に安置されているお地蔵さん。
6体のお地蔵さんが彫られている。


これまでは六角堂に地蔵菩薩像が安置されていたが、
ここでは、仏殿に祀られていて、上記大善寺と同じく、
地蔵菩薩像を拝むことができたので、写真に撮った。


最後の6番目は、南区の浄禅寺。
北区の上善寺とは、読みは同じだが漢字が違う。


先ずは、本堂から。


六角の地蔵堂。


こちらにも、たくさんのお地蔵さんが…。


こちらでも、地蔵堂の地蔵菩薩像の写真を撮れた。


境内にある袈裟御前の首塚(恋塚)から、恋塚浄禅寺とも呼ばれる。
右は、袈裟御前の首を埋めたとされる五輪塔(恋塚)。
恋塚浄禅寺は、文覚が袈裟御前の菩提を弔うために創建した。

「源平盛衰記」によると、その言い伝えられている話は以下の通り。
平安末期の北面の武士・遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉源渡の妻・袈裟に恋し、
源渡を殺して袈裟御前を我ものにしようとするが、
夫の身代わりとなって袈裟御前は遠藤盛遠に殺されてしまう。
遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家し、文覚上人となり、
袈裟御前の菩提を弔うために、寺を開基したとか。




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