敦煌の鳴沙山と月牙泉



北京を出てしばらくするとすぐに飛行機の窓から眼下に見える景色は砂漠になった。
途中いくつかの小さな町が見えたが、敦煌まで延々と続く砂漠には中国は広いと実感する。
敦煌は、広大な砂漠に囲まれたオアシス都市で、シルクロードの分岐点として栄えた都市である。


「シルクロード」のイメージは「月の砂漠を行く隊商」であり、
そのイメージに一番近い風景を体験できる場所がここ鳴沙山である。
まさに、「♪月の砂漠を〜♪」のイメージそのものである。
もっとも、現在ではラクダに乗って行くのは観光客であるが。


敦煌では雨が降らず乾燥していてカラッとしているので蒸し暑さはないものの、
昼間はやはり気温が高く日にも焼けるということで、鳴沙山へは夕食後に出かけた。
砂漠に沈む夕陽も期待したが、日が沈む方向に雲がなくて夕焼けは見られなかった。


「鳴沙山」というのは、この山がそうというのではなくて、
この辺りの山どれもすべてを含めての総称だそうだ。


左へ続く道ではなく右の砂地を行くと「月牙泉」へ着く、というこの案内石は、
「月牙」というのは、中国語で「三日月」の意味で、三日月の形をしている。
砂山の谷あいに湧く三日月形の泉で、これまで枯れたことがないそうだが、
聞くところによると、最近この泉はだんだん小さくなっているとかで、
将来は消えてなくなるかもしれない、ということで見ておく価値がある?


月牙泉のほとりには楼閣が復元されている。


楼閣の背景の砂山を登っているけし粒の人影が見えるだろうか?
あそこを登って、頂上から三日月形の月牙泉と楼閣の写真を撮ろうと思った。


砂山を登るのは想像以上に大変で、砂に足を取られて、ずずーっと滑り落ちて、
1歩進んでも1歩下がるという感じで、すぐそこに見える頂上までなかなか到達せず、
疲れきって途中何度も立ち止まっては休む間にも頑張って写真を撮ったのがこれ。
暮れ行く中で青空もまだうっすらと写っているが、楼閣が見える角度から、
ここはまだまだ頂上からは程遠い中間地点位の所だろうか…。


やっとの思いで頂上に着いたら、頂上では風が吹いていて砂嵐の洗礼を受けた。
疲れきって思わずへたり込んでしばらくそのままの状態で立ち上がれなかった。
目も開けていられないし、しゃべれば口の中へも容赦なく砂が入り込んでくるが、
頂上からは早々に退散しようとの気持ちから、何とか写真を撮らなければと、
頑張って写真を撮ったら、この通り、レンズカバーが開閉しなくなってしまった。
何枚か撮った写真全部にこのようなレンズカバーの影が写ってしまった。


座っているとまともに砂嵐を受けるが、立てば砂は足元を飛んでいくので被害が少ない、
立った方が良いのではないかと知人から言われて、そりゃそうだと急いで立ち上がり、
ともかくも、予備のカメラで砂山と月牙泉と楼閣のこのような幻想的な光景を撮った。
頂上から下りてから、知人から借りた道具でカメラの砂を取り除いたりしたものの、
結局はカメラは壊れてしまい動かなくなった。涙。


頂上で撮っておいた、カメラを壊した砂嵐の正体。
風で砂が飛んで行っているのが分るだろうか。
砂嵐が少し治まった頃の写真で迫力には欠けるが、
迫力ある時には写真などとても撮れなかった。


被っていた帽子を風で飛ばされた知人が居た。
砂の中をとても追いついてはいけないと諦めていたそうだが、
ところが、飛ばされた帽子を取りに行き持って来てもらえたそうだ。
砂山の警備員というか、パトロール隊というか、そういう人が居た。
これは何と言うのだろうか、雪上車ならぬ砂上車とでも言うのか。


鳴沙山を去る頃には、一面の砂漠も暗闇に包まれた。


本当はラクダにも乗ってみたかったが、夕食後に出かけたのであまり時間がなく、
砂山を登る体験(?)の方を選んだので、残念ながらラクダには乗れなかった。

たくさんのラクダたち、お客さんを待っているのか、待っていないのか、
一仕事終えて休んでいるのか、座り込んでいるラクダの姿も見える。

さっきの客は重くて大変だったぁ〜と、へたり込んでいるように見える?


敦煌の街と莫高窟へ続く



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