日吉大社と西教寺の紅葉



Go To トラベルとやらで、旅行に出かける人が増えた中、
新型コロナは収束するどころか、感染拡大が深刻になり、
相変わらずどこへも行けず、日帰りで行ける隣の県へ行った。

京都には紅葉の名所がたくさんあり、外国からの観光客が減ったとはいえ、
Go To トラベルとやらで、日本国内からの観光客が増えてきたので、
やはり混雑は避けようという気持ちが強く、滋賀県の坂本の街を歩いた。

数日後からの連休では、京都の観光地はどこも観光客が殺到して、
京都を避けて、逆に京都から外へ出かけたのが正解だったか。

歩いた歩数の万歩計は16013歩を記録していた。
膝の痛さは完治していないが、これだけ歩ければ十分だ。


京阪石山坂本線で坂本へ向かう途中に駅名が読めない駅があった。
それは「穴太」である。 漢字は難しくないが「あのお」と読むらしい。

京阪電車・坂本駅から日吉大社へ向かう日吉馬場の通りを歩くと、
あちこちで「穴太衆積みの石垣」を見ることができる。
比叡山延暦寺の門前町である坂本には穴太衆と呼ばれる石工集団がいて、
自然石を組み合わせる「穴太衆積み」という技法で石垣を作っていたそうだ。


日吉大社の広い参道が始まる。


この日は紅葉が見頃で、美しい紅葉が見事だった。
ここでも、穴太衆積みの石垣が見られた。


日吉大社の鳥居をくぐって境内へ入る。


大宮川に架かる石橋の大宮橋を上からと横から撮ったが、
紅葉に染まる橋の紅葉の色がきれいに撮れてなくて残念。


大宮橋と走井橋と二宮橋は「日吉三橋」と呼ばれているそうだが、
この走井橋には何やら松の木の枝が垂れ下がっているように見える。
が、近づいて見ると、完全に橋の上に落ちてしまっている感じだ。


「紅葉」という題名なので、もう少し紅葉の写真を入れよう。


これは「山王鳥居」と言って、日吉大社独特の形をしている。
神仏習合の信仰を表すそうで、「合掌鳥居」とも呼ばれるとか。


神様のお使いであるお猿さん、いえ、これは、まさるさん(神猿)。
「魔去る」(鬼門守護・厄魔除け)、何よりも「勝る」(勝運・必勝・向上)
と尊ぶ日吉大社の「まさる」さんが祀られている。忙しげに歩き回っていて、
写真に撮られるのは好きではないらしく、どれもまともに撮れていなかった。


そこで、じっと動かない、これは「神猿みくじ」です。


さて、これは西本宮の本殿だが、狛犬が回廊に置かれている。
実は、恥ずかしながら初めて知ったことなのだが、
本来、狛犬は本殿の中の内陣にて神様をお守りしていたのが、
時代を経て、本殿の上に置かれ、本殿も守護するようになったとか。
更に時代を経て、境内全体の守護のために本殿の前や境内入口などに置かれ、
雨ざらしになるので木製から石造りになった、とか。(ネットでの説明文から)


東本宮。


東本宮を出て坂を下る途中でお猿さんのような石がある。

猿の霊石。 側の説明板には「猿岩」と書かれていた。
「山王神使 神猿(まさる)さんが谷側を向き座るお姿で
来る者に神縁をむすび去る者を見守ります」と書かれている。


さぁ、木々に覆われた山の辺の道を森林浴しながら
日吉大社から出発して西教寺までを歩いて行った。


視界が開けると、琵琶湖を見渡せる光景が広がっていた。


「千体仏地蔵」
比叡山は修行の山で、一般の人の参詣には制限があり、
そのため、比叡山から聞こえてくる読経に合わせて、
山麓の人々が小さな地蔵尊を祀り成仏を祈ったとか。

近世、この地蔵尊が掘り起こされてここに集められ、
「千体仏地蔵」と呼ばれるようになったそうだ。


西教寺の総門。 明智光秀公と一族の菩提寺である。

織田信長の比叡山焼き討ちの際に西教寺も焼失したが、
その西教寺を復興したのが、坂本城主となった光秀だ。


ここでも、紅葉は丁度見頃だった。


国の登録有形文化財になっている唐門を通じて琵琶湖を眺められる。
が、写真では、琵琶湖は白っぽくなっていて、よく見えないのが残念。


本能寺の変の後、55歳で没した明智光秀公及び一族の墓がある。
その左端には、42歳で早逝した明智光秀の妻煕子の墓もある。


せっかくなので、紅葉にも黄色と赤色で競ってもらいましょう。


こんな風に太陽の光に透かして見る紅葉は不思議な色合い。
そして、紅葉の向こうの総門から出れば西教寺も終わりです。

なお、日吉神社のお猿さんは「まさるさん(神猿)」だったが、
西教寺の守り神は「ござる(護猿)・まもりざる」だそうだ。

比叡山にはもともと、たくさんの猿がいたことから、
坂本一帯の神社仏閣では、猿は神様の使いとされていて、
「縁がござる」「福がござる」「客がござる」と言われ、
ござる(5匹の猿)が念仏を唱えている姿がお守りとされている。




戻る   目次へ