+ 本能寺

本能寺の変?


京都での2回目の緊急事態宣言の中、近場を歩いてきた。
健康のための散策などの外出は必要との思いからである。

昨年末に終わるはずがコロナのために撮影ができず遅れていた
昨年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」も2月に入り終わったので、
「本能寺」と「本能寺跡」を改めて訪ねてみた。


本能寺の表門、山門。

京都市中京区下本能寺前町にある法華宗本門流の大本山。
本能寺は寺町のアーケード街の土産物屋やビルに囲まれている。


河原町通に面する裏門。

いずれも「本能寺」の「能」の字は今は使われない「䏻」の字が書かれている。
5度も火災に遭遇したので七(火)を嫌い「䏻」の字に替えたものだそうだ。


本堂。


本堂の脇に7院の塔頭が連なっている。
塔頭寺院とは本能寺に給仕する子院のこと。


信長公御廟所拝殿。
信長公の供養塔、墓所である。


信長の墓の隣には、本能寺の変で彼と共に戦死した家臣たちの墓もあり、
全員の名前かどうか分からないが、大勢の人の名前が書かれていた。


信長廟の側に育つこのイチョウは、本能寺の変の後この場所に移植したとか。

蛤御門の変の火災時に、このイチョウの木から水が噴き出し、
火を消したという逸話があり、「火伏せのイチョウ」と言われ、
現在まで大切に守られている大イチョウだそうだが、
冬場で葉がなくて、イチョウの木と分からなかった。


京都市中京区元本能寺南町油小路通蛸薬師に本能寺跡の石碑がある。
本能寺跡は、「本能寺の変」当時の所在地にある。


ところで、東西南北のこの狭い通りは何のための写真か?
実は、この角にも「本能寺址」の石柱があるのである。


中京区元本能寺南町(油小路通蛸薬師通小川通西南角)の
特養老人ホームの北東角にも「本能寺址」の石柱がある。
知らなければ見落としてしまいそうな石柱である。

一体どちらが本当の本能寺跡(本能寺址)なのか?
変ではないか。

この石柱をよく見ると、「此附近本能寺址」と書かれている。
そうか、この付近に本能寺があったという址なんだ。
それなら、何も変なことはない。

実は、本能寺の変の時には、北は六角通、東は西洞院通、南は蛸薬師通、西は油小路通
に囲まれた広い敷地内にあり、どこでもが「本能寺跡(本能寺址)」なのである。

それどころか実際には本能寺のあった場所は、石碑や石柱の立つ場所の一区画北側だそうだ。

なんだ、やっぱりあの辺りどこでもが「本能寺跡(本能寺址)」なのだ。



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