岩倉具視幽棲旧宅を訪ねて


岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)は、
これまでに何度か訪ねたことがある。
しかし、ここで載せたのはいつも道路からの門の写真だけで、
中の様子を載せたことがないことに気づいて、改めて訪ねた。

岩倉具視は、京都生まれ京都育ちで、尊王攘夷派から命を狙われ、
洛北の岩倉村に移り住んで密かに暮らしたその旧宅だ。
その後、明治維新の重鎮として大活躍したことは良く知られている。

が、しかし、やはり今回も門の写真から始めよう。


これは、岩倉具視幽棲旧宅の正門。
普段は、こちらからは入れない。


こちらの通用門から入るようになっている。
コロナの感染拡大防止のため、事前予約制、
ということはネットで見て知っていた。
しかし、予約しないで行っても入れた。
我々の他には1人居ただけだからである。


岩倉具視を訪ねてきた志士の中には、
坂本龍馬、中岡慎太郎、大久保利通などが居て、
王政復古に向けて、議論を交わしていた。
その舞台が「鄰雲軒」と呼ばれるこの主屋である。


対岳文庫。 部屋の中の写真は撮れない。
岩倉具視の遺品類や明治維新の関係書類などを展示・収蔵している。


遺髪碑。 岩倉具視の遺髪を埋葬した慰霊碑。
槇子夫人の碑と共に祭られていて、
子息の具定、具経の碑も建っている。




こちら側とあちら側の部屋から中庭を挟んで見る。


岩倉具視の没後には改修や整備がされたそうだが、
幽棲時代と変わってないのが床の間横の天袋と地袋の襖だとか。
この写真ではよく見えないが、元写真を大きくすると、
襖には、うっすらと雀や竹の絵を見ることができる。


昔ながらのおくどさん(かまど)などもあったが、
これは何だろうと思ったのが、龍吐水(りゅうどすい)。
江戸幕府から給与された消火用のポンプ式放水具だそうだ。


茅葺屋根の「鄰雲軒」の前の庭園には、
小さな池もあり、散策するに良い。


庭園中央にある岩倉具視お手植えの松が出たところで、
Mizuの部屋の話題にさせてもらった謝意で終わりましょう。



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