最後のテニス大会

夫の名前を冠したテニス大会を年に2回春と秋に催してきた。
今年3月で夫は定年退職するので、去年の秋が最後の会となった。
職場の関係者で集うが、親睦が目的なので和気あいあいと行われる。



優勝者の名前を書いたペナントが全部で27枚。
第1回が昭和63年12月17日、最後が第27回平成15年11月8日。

顔が分からないようにぼかしました。(^^;)     U氏撮影

一応オープンなので、家族の人も参加を許される。
いろんな人とパートナーを組み、いろんな人と対戦して、
全戦合計で勝ち数が一番多い人が優勝となる。

このテニス大会、10何年もやってきたので、変遷が激しい。
テニス人気の陰りのあおりをくって、次々とテニスコートがなくなっていった。
最初の頃借りていたテニスコートには家が建ち、今では住宅街になっている。
次に借りるようになったテニスコートにはビルが建つことになっている。
ちなみに、我々夫婦が入っていたテニスクラブも変遷した。
ある時期から入ったテニスクラブは大学に買い取られてしまった。
次に入ったクラブは量販店の駐車場になってしまった。

そもそも我々がテニスを始めた最初は何がきっかけだったか。
夫は40歳の時職場の旅行で行った軽井沢で生まれて初めてテニスをした。
「初めてにしては上手ですね」と上手な人から褒められたそうだ。
「初めてにしては」の前半部分が聞こえなかったか故意に聞かなかったか、
褒められてすっかりその気になって以後テニスを始めることになった。

実はその何年も前からテニスブームが起こっていたにもかかわらず、
健康的にも良いテニスをやろうという誘いには頑として乗らず、
「猫も杓子もやっているテニスなんぞするものか!」などと言っていた。
それが気がつけばいつの間にか自分が猫や杓子になってしまっていた。

さて、私の方はというと、夫に遅れること3年、やはり40歳の時に始めた。
その頃には夫は日曜日にテニスに出かけるようになっていた。
日曜日にいつも残されたのではたまらないとテニススクールに通った。
密かに(?)平日にテニススクールに通い夫に負けないようにと腕を磨いた。
がしかし、性格は変えられないもので、遠慮深い性格が災いして、
未だに夫にはかなわない。

それなら私も・・という不純な動機から始めたテニスだが、
今では夫婦で楽しめるものになった。
もっとも、最近はテニス(手)よりもクチニス(口)の感ありだが。
夫の主催するテニス大会にも毎回出席の皆勤だ。
しまった、最後のテニス大会に「皆勤賞」を設ければよかった。

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