新緑の笠置山と笠置寺



京都府の南東にあり、住んでいる地域からは遠いが、
3度目の非常事態宣言は出ていなかったこともあり、
奈良県境に位置する笠置山の笠置寺へ行ってきた。

これは、山の中に入った所での笠置町の眺め。


笠置寺は笠置山の山上にあり、山の中をハイキングした。


色々なパンフレットなどには「笠置寺」と書かれているが、
山門には「笠置山寺」と書かれている。どちらでも良いようだ。

さて、境内の中だけで1周約800mのコースを歩いてみた。


別名では正月堂とも言われている笠置寺の本堂。
東大寺の大仏を建立した良弁和尚の弟子が建てたとされ、
最初の法要が東大寺二月堂のお水取りの発祥とされるとか。


「弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)」。

本堂のすぐ横の巨大な白い岩壁。
笠置寺は、磨崖仏の巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、
磨崖仏とは、自然の岩壁に直接彫り刻んだ仏像のこと。
写真では大きさが分かり難いが、高さは約15mもある。


「笠置石(かさおきいし)」。

巨大な弥勒磨崖仏のすぐ隣にも巨大な岩が…。
遠くからでも、今にも落ちそうな岩が見える。

鹿狩りに訪れた天智天皇の皇子が巨石の上から落ちそうになり、
山の神に救ってもらった恩返しに、後日訪れるための目標にと、
石の上に笠を置いたそうで、これが「笠置」の地名の由来だそうだ。


「伝虚空蔵磨崖仏(でんこくぞうまがいぶつ)」。

上の弥勒磨崖仏は形がはっきり分からなかったが、
こちらは、刻まれた虚空蔵菩薩のお姿がよく分かる。

この他にも、いわれのある石や岩がたくさんある。
笠置山は花崗岩で出来ていて、これら巨石や奇岩は、
弥生時代から信仰の対象になっていたそうだ。


「胎内くぐり」。

ここからが修行の始まり。
修行に入るためには、普通は滝で心身を清めるが、
笠置山には滝がないため、このような胎内くぐりとして、
この岩をくぐり抜けることにより身を清めたとされる。


「太鼓石」。

石の上面には丸いくぼみがあり、
その縁を叩くとポンポンと音がするそうだが、
その太鼓のような音とはよく分からなかった。
それより、後ろに転がっている巨石が気にかかる。


「ゆるぎ石」。

後醍醐天皇が鎌倉幕府の奇襲を受けた所で、
この石は、奇襲に備えるための武器として、
ここに運ばれたが使用されないで残った石。

重心が中央にあり、押すと動くのでゆるぎ石。


「平等石」。

石の中の割れ目のトンネルを通り、
岩の周りを周回することが修行とされている。


「貝吹き岩」。

戦乱の中、合図や戦意を鼓舞するために、
この岩の上で法螺貝が吹かれたそうだ。


通り道の両側には、もっと多くの巨石や奇岩があったが、
このような名もない?岩も入れておこう。


あまりに岩ばかりが続くので、この辺でホッと休憩を。

東西に流れる木津川の南岸に位置する笠置山の、
標高289mのその笠置寺の境内からの眺め。


「後醍醐天皇行在所跡(あんざいしょあと)」。

笠置山の山頂部分は、宮内庁が管理する。
元弘の戦乱の中、京都御所を出られた後醍醐天皇を受け入れた場所。
後醍醐天皇は、三種の神器を持って、ここに立てこもったそうだ。


「宝蔵坊跡(ほうぞうぼうあと)」。

おっと、「新緑の…」と題名に書いたのに、新緑を入れなくては。
別名「もみじ公園」の名前の通り、モミジの新緑がきれいだ。


ついでながら、赤いモミジとの競演も入れておこう。

ついでの赤いモミジが出たところで、ついでに他の話題も。


「笠置型燈籠」とは何ぞや?と思ったら、説明板によると、
燈籠は平安時代に笠置寺の参道に建てられていたそうだが、
現存するものが一基もなく、資料も残っていなかったとか。
そこで、インターネットで広く全国に資料を求めたところ、
愛知県岡崎市の石材業者組合が大正時代に発行した本に、
形式や寸法が記載されていたことが分り、復元できたとか。


「解脱鐘(げだつがね)」。

下に6ヶ所の切り込みのある形の鐘は、
日本に1つしかないという珍しい鐘だ。

年に一度、大晦日にだけつくことができる。

さぁ、大晦日に、この鐘をつきに来る前に、
コロナ感染が収束していることを祈りましょう。



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