小豆島のオリーブと「二十四の瞳」



三田からは高速道路で中国道と山陽道を通って、
岡山県の日生(ひなせ)からフェリーで小豆島へ行った。


岩の上で羽を休めているたくさんの鳥たちが居るかと思えば、
山肌に張り付くように建てられた別荘では人々が疲れた体を休めている?


日生からは大部へ約1時間で着く。小豆島が見えてきた。
遠くからでもカメラで1枚に入りきらない程に結構大きいのだ。


小豆島といえば、先ずはオリーブ園にオリーブの木を見に行った。
この木は原木だそうで、さすがに貫禄があった。
ただし、100年前に小豆島に植えられた原木は現存してなくて、
これは、その木から挿し木で育った木だそうだ。

夏のこの時期は花は終わっているし実が実るには早いだろうし、
ということで、花も実もない人生だと嘆き節で書こうかと決めていた。
ところが、実はあった、もちろんまだ青い実が。
たくさんのオリーブの木を見て廻った中で、ほとんどの木に実があった。
にもかかわらず、この原木には実がなかった。
務めを終えて子は出来ないのかと変に感心した。
(ネットで、この原木は実をつけていると読んだので、
今年だけ実をつけていないのかもしれないが…。)


しかし、この堂々たる風格はたいしたものだ。
風格で他にこの木に勝る木はなかった。


オリーブの実には丸いのと細長いのがある。
丸いのは名前が小さなりんごという意味のスペイン語から来ているように、
果実が丸い形をしているのは、スペイン原産の品種だそうだ。


こんな雰囲気でオリーブの林が広がっている。


小豆島で1908年(明治41年)からオリーブの栽培が始まったそうで、
ここがオリーブ発祥の地であるという記念碑があった。


オリーブ園のすぐ隣にはオリーブ公園があり、
オリーブ公園では、オリーブ植栽100周年を記念してイベントが開催されていた。
オリーブの林を歩きながら瀬戸内海のこのような風景を見ることができる。

さて、小豆島といえば、やはり「二十四の瞳」でしょうか。
そこで、二十四の瞳映画村へも行ってみた。


壺井栄の小説で映画の舞台になった「岬の分教場」。
上は、1987年、田中裕子主演で製作された「二十四の瞳」のオープンセット。
下は、本物の分教場。1954年、高峰秀子主演の時はこの分教場を使ったとか。


小さな机と椅子が並んだ、懐かしい小学校の教室風景。
上は、映画のセットの教室で、下は、保存されている本物の教室。


オープンセットでは昭和初期を模した民家など18棟が建てられ、
軒先には昔懐かしい生活道具などが置かれている。
日用雑貨を売る店や漁師の家々が並んでいる通りには、
浴衣とおしめを干したこのような懐かしい光景も見られる。


「せんせ あそぼ」のこの記念像は、
教師は生徒を愛し、生徒は教師を慕う・・、
という、いつの時代にも我々の願いでもある。

最後は、ホテルから見えたエンジェルロードと言われる道のこと。


ホテルの部屋に入ってからベランダから撮ったのがこの写真。
手前から弁天島・中余島・小余島・大余島は砂の道でつながっている。
ところが、この道は一日に2回引き潮の時だけこのようにつながり、
満潮の時には海の中に沈んで渡れないそうだ。


夕方、この道を歩いてみた。
「エンジェルロード」の名前の所以は、この道の真ん中で手と手を結び、
目を閉じれば幸せの天使が舞い降りて願いを叶えてくれるとか。
海に沈むことを知らなければ、普通の海辺の道だ。


翌朝、ホテルの部屋のベランダから何度も見てみたが、
最初、遠くの道から砂の道が海に沈んで見えなくなった。
が、近くの方はまだ渡れるようで、細い糸のようにしか見えないが、
海に沈む瞬間を体感しようと肝試し?をしている人達の影が見えた。
若者に負けないよう、もちろん、私も肝試しをしてみたかったが、
出発しなければならずこの写真を撮ったのが時間的にぎりぎりだった。

いや、時間に余裕があれば夢中で写真を撮っていて戻れなくなったかもしれない。


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