京都千年天文学街道ツアー


歴史と文化遺産の宝庫である京都には天文学に関する多くの史跡もある。
これらの史跡を巡る「京都千年天文学街道」と名付けられた観光ツアーが企画された。
「明月記コース」「京大コース」「花山コース」の3つのコースがある。
実のところ、私は歴史に弱く天文学にも疎いが、大学の先生による解説付きで、
iPodを使っての解説で情報通信技術も融合した天文ツアーという試みに興味を持ち、
その内の「明月記コース」に参加してみた。3時間のコースである。


大雨の予報だったこの日のツアーは晴明神社から始まった。
ところが、幸い予報は外れ、雨は降らず時には日も射す曇り空。
晴明神社は安倍晴明の屋敷跡に建てられている。
平安時代の御所は現在の御所より西にあり、御所から見ると鬼門に当たる。
安倍晴明は御所の鬼門を守っていたということになるようだ。

晴明神社ではあちこちで星印☆(五芒星)が見られる。
陰陽五行説では、自然界は5つの要素で成り立っていて、
5つの要素が循環して万物が生成され自然界が構成されているとか。
晴明神社のこの紋はその原理を表わしているそうだ。


安倍晴明の像。
安倍晴明は天文博士であり、単なる妖術師ではない。
陰陽師は占いや祈祷もするが、主な任務は天変の観測と記録だったとか。


晴明神社の中にある一條戻り橋。
この橋は平成7年までは実際に使われていた橋で、
安倍晴明ともゆかりが深いので境内に復元したそうだ。
一條戻り橋は「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われ、
安倍晴明の父が殺害された場所でもある。


現在の戻り橋は神社から南へ100メートルの所に架かっていて、
一条戻り橋としてドラマなどにもよく登場する。


iPodにはあらかじめこの日の解説の資料が入れられていて、
指示通りに画面を指で動かしては読みながら説明を聞いた。


一条通りを東へ京都御所へ向かって歩いて行く途中でも立ち止まって説明を受ける。
一条戻り橋を渡り、東へ一筋行った所の南北の細い道を小町通りという。
北西の角には「小町通・小野小町雙紙洗水遺跡」と彫られた石碑がある。

宮中の歌合で、小野小町の対戦相手は、小町の評判がよい事に嫉妬し、
前日に小町が出す歌を盗み見て、その歌を万葉集に書き加えておいて、
当日は小町の歌が万葉集からの盗作であると訴えた。
が、悪企みを怪しんだ小町が庭の井戸の水で草紙を洗うと、
後から書き足した箇所が洗い流されて難を逃れた。
小町が草紙を洗った井戸がこの辺りというので、「小町通」と名付けられたとか。

そのような場所であるにもかかわらず、忘れ去られているのか、
北東の角にもある同じような石碑は波板で囲われて見えなくなっていた。


乾御門から京都御所内へ入る。


公家の人達の家々が建ち並んでいた近衛家のあった場所で、
現在は桜の名所になっている木陰で、明月記と超新星の話などを聞く。
明月記には多くの天文現象のことが記されていて、
超新星爆発の出現を観測した記録は貴重だとか。


明月記は、百人一首や新古今和歌集の選者として有名な藤原定家の著。
その藤原定家の子の藤原為家の子・冷泉為相から始まる冷泉家。
京都御所の北にある冷泉家には藤原定家が記した明月記が所蔵されている。
上の写真は、冷泉家の表門の屋根の上の「阿吽の亀(玄武)」。


京都御所の中でこの場所だけ築地塀が内側にへこんでいる。
ここは北東角で、陰陽道では鬼門とされていて災いが入る方角と考える。
御所の鬼門を守るために、難が去る(猿)とかけて、
魔除けのために猿が祀られていて、ここを「猿ヶ辻」と言う。


最後に、休憩所で座って休みながら、iPodに3D(立体)めがねを繋いで、
あらかじめ入れて用意されていた太陽の黒点の爆発の動画を見せてもらった。
iPodも3D(立体)めがねも1人に1台貸してもらえた。

歴史の知識も天文学の知識もなく、歴史にも天文学にも興味が薄い者にも、
最新の情報通信技術を駆使した丁寧な説明には十分に楽しめた3時間だった。
もちろん、歴史に詳しく天文学にも興味が深い人達には、専門的な質問もできて、
もっと有益有意義な3時間だったのではないでしょうか。



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