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Mizuの掲示板


new 「観音竹・綾錦の葉」  投稿者: Mizu 投稿日:2018/04/20(Fri) 13:27 No.5250   HomePage

『徒然記』に「観音竹・綾錦の葉」を入れました。

9年前に撮っていた写真と現在の写真では、こんなに葉の色が違います。
ページでも入れましたが、こんなに葉の色が年老いてきたということは、
やはり枯れる前に記録を残そうと思って良かったです。
でもまだまだ、生き続けそうではありますが…。

なお、同じく『徒然記』で書いた「ルスカス」も「ホンコン」もまだ生きています。



new 日光陽明門  投稿者: 坂田 道義 投稿日:2018/04/13(Fri) 16:20 No.5235

ひでっちゃん、Mizuさん、ありがとうございます。
あの日は、二月中旬の卒業目前の日。また、国立一期の入試を控えていましたので、男子学生は、「こんな時に、女の手なんか握れるか」と憤慨していましたが、校是の、“規則は守るべし”に従って、しぶしぶ参加しました。
高校時代、曲は、“コロブチカ”の他に、“オクラホマミキサー”を踊りました。
私は、高一、高二と、男子ばかりのクラスで、女子学生とは、疎遠で、“師匠”のように、奇特にも、手を差し伸べてくれる人に対しても、被害妄想や、嫌悪感を抱いていました。
写真は、修学旅行の時、集合写真を撮った、日光陽明門ですが、明朗で、自信にあふれていた、ひでっちゃんとは、反対に、私は、この頃は、本当に、暗い学生でした。
私が、子供の頃の女子学生に思いを馳せるようになったのは、子供を育ててからです。
女子学生達は、皆、子供の頃は、秀才、才媛と評される人ばかりでした。
親が必死になって、進学を支援してくれていた男子学生に対し、女子学生は、意に沿わない進路を辿った人も多かったことでしょう。
そんな彼女達が、どことなく、淋しげな私に、仲間意識を感じてくれていたのかもしれません。
願わくば、同級の女子学生達が、この後も、この陽明門のように、Mizuさんのように、常しえに、美しく輝いていて欲しいと思います。





new Re: 日光陽明門   Mizu - 2018/04/14(Sat) 14:03 No.5236   HomePage

Mizu専用 坂田さん、またまたありがとうございます。

おかげさまで、忘れていた若かりし頃のことをいろいろ思い出します。
国立一期校・二期校って、懐かしいですねぇ。
実は私、第一志望の大学には落ちてしまい、泣いた経験があります。
広島で下宿していたのは第2志望の大学でした。
あの頃、女の子が浪人するなんて許されなかったような…。
女の子が下宿するのは許さない、寮へ入れと言われた友達が居ました。
女の子が東京へ行くのも許さないと言われた人も…。
(私は、浪人も東京行きも自分で希望しなかっただけですけど…。)

買ってから9年が経った観音竹・綾錦の葉が黄色くなってきたので、
枯れる前に記録を残そうと、ページに書こうかと思っています。
葉が緑の写真は元気な頃に撮っていたもので、今は7枚の葉もあります。
1本の木で、葉の数がこんなにいろいろで、自由そのものです。





new Re: 日光陽明門   坂田 道義 - 2018/04/14(Sat) 21:55 No.5242

歌手 長山洋子の歌“たてがみ”に、♪運と私が、あなたの味方♪ とありますが、Mizuさんの場合、強運と、家庭の支えは勿論、それに加えて、あの寒い粉雪の舞う日、冷たい心ながら、暖かい私の手に触れたことが、現在の幸福の素因となったのかも知れません。
苦楽を共にした、高三同級生のささやかな忘年会、話が尽きないのも当然ですね。




new Re: 日光陽明門   Mizu - 2018/04/15(Sun) 14:32 No.5247   HomePage

Mizu専用 強運といえば、私の父は、昭和20年に原因不明の微熱が続いて、
広島から家族が暮らしていた岡山の田舎へ療養のために帰っていました。
治ったので明日は広島へ出かけようと言っていたその夜に、
田舎のこととて、家の前でマムシに噛まれたそうです。
血清?があったからか、大事には至らなかったのですが、
そのために、翌日の広島行きを延期したそうです。
その翌日というのが、何と何と8月6日で、
もし、予定通りに広島へ行っていたら原爆の落ちた爆心地近くで、
父も私達家族もその後どんな人生を送っていたかと思うと、
父の強運に思いを馳せます。 マムシ様様です。


コロブチカ  投稿者: 坂田 道義 投稿日:2018/04/04(Wed) 11:23 No.5219

高三最後の体育の授業。外は寒い粉雪が舞い、室内での最後のフォークダンスとなりました。
男子学生は、受験直前で、不満でしたが、女子学生は、それまでとすっかり変わっていました。
緊張感も軽快な“コロブチカ”の旋律で、ほぐれていきました。
最初の女性は、“こんな良い男の手を握れるなんて”と喜んでくれました。
次の人は、“こんな醜女ですみません”とおずおずと手を差し出してくれましたが、最後には、強く握ってくれました。
Tさんは、他の多くの人と同様に、私を一瞥すると、無表情で機械的に踊りました。
ところが、次の人は、私と指が触れた途端に、激情でしゃがみこんでしまいました。
Tさんは、「この程度の男で、動揺するな」と、目で𠮟っていました。
他には、顔を紅潮させながらも、しっかりとステップを踏んだ人。
何も分からなくなり、ただ、グルグルと回っていた人もいました。
容姿に自信のある人は、正式な舞踏会のように、挨拶をしてくれ、顔を左に向けるのですが、結果、無防備にも、耳や頚、肩から胸までも見えるのですが、初心な私には、“猫に小判”。
終わり頃、私が“師匠”と呼ぶ人になりました。彼女は、高一の最初の日、私の硬い殻を破り、私の心の中に棲みついた人です。
手を取ったものの、腕を伸ばしてくれません。私も咄嗟に“負けてはならない”と決心。彼女の大きな瞳を見ると、私の顔が映っていました。
結局、至近距離で見つめ合ったまま踊りました。
高校卒業後の同窓会。彼女は、愛らしく、挨拶をしてくれましたが、次の瞬間、大勢の男性達に囲まれてしまいました。
私も、数人の女性グループに連れられて、二次会へ行きました。
高校時代と違い、大学時代は、みんな、とても積極的であることを知りました。





Re: コロブチカ   Mizu - 2018/04/04(Wed) 14:06 No.5220   HomePage

Mizu専用 坂田道義さん、来ていただいて、ありがとうございます。

掲示板へ来て下さる人が居なくて、HP継続の意欲低下のこの頃です。
でも、坂田さんは、高校時代の出来事もその時の想いも詳しくご記憶で、
そんなに記憶のない私など、あまりの落差に緊張してしまいます。
その描写には、まるで小説の一節を読んでいるような気分になります。
そうですね、これは思い描く一場面の描写なんですよね。

つぼみ、盛り、枯れ際のミツマタで、描写力の無さをごまかしましょう。(^^;)





new Re: コロブチカ   ひでっちゃん - 2018/04/12(Thu) 19:51 No.5233

私も、最後の授業がなんだったか、全く覚えていません。

でも、フォークダンスをよくしたのは覚えています。が、細かいことは本当に覚えていません。曲を聴けば体が自然と動くのではとは思いますが…。

坂田さんの記憶力には脱帽です。




new Re: コロブチカ   Mizu - 2018/04/13(Fri) 14:46 No.5234   HomePage

Mizu専用 ひでっちゃん、来ていただいてありがとうございます。

ね、坂田さんのあの小説のような記憶力には圧倒されますね。
よくフォークダンスをしていたことは私も憶えています。
「手が冷たいのは心が燃えているからだ(手が冷たい人の心は温かい?)」
と誰かに言われたことを憶えているので、私の手は冷たかったようです。
あっ、あまり憶えていない中でこんなことを憶えているのは、
そんなことを言われて嬉しかったか、それともいやだったのか??



new 「綾部市のミツマタ群生地」  投稿者: Mizu 投稿日:2018/04/11(Wed) 11:21 No.5231   HomePage

『京都』に「綾部市のミツマタ群生地」を入れました。

群生地の端っこの辺りは、このように倒木?の山でした。
そんな場所でも咲いていたミツマタは健気に見えました。



土日には臨時休憩所が開設されるというその建物。
木の香りがする手作りの小屋でした。



手前の緑は何かと思えば、フキノトウが群生していました。