大わらわの5週間



生まれた日の”は”の字

孫の”み”の字のことは、以前はよく話題に出していたのだが、
大きくなってからは顔写真など載せてはいけないかなと自粛したので、
一応説明を。 ”み”の字の母親は”あ”の字さん。

”み”の字誕生後2人目に恵まれず、”み”の字は8年近く一人子だった。
今回、7年11ヶ月ぶりに、弟が生まれた。 ”は”の字と名付けられた。
”み”の字が生まれた時は、”あ”の字さんの実家で産後をお世話になった。
が、今回は”み”の字の通学の問題もあり、我が家で世話をすることになった。

早目に来ておこうと2週間も早く12月15日に来て(予定日は12月29日)、
丁度その日に届いたふぐちりセットを皆で鍋を囲んで、”あ”の字さんが
”フグも食べたことだし(思い残すことはない)…”などと言っていたら、
その後から軽い陣痛が始まり、病院へ電話をして、息子がタクシーで連れて行った。
しばらくして、夜の3時頃には無事に新しい命が生まれた。

我が家へやってきた前日まで息子は外国出張中で、
帰国翌日に4人分の荷物を車で運び終えていたことで、
実にタイミング良く生まれてくれたと皆で安堵した。

12月18日に更新した「筋肉を増やそう」(こちら)は、
てんやわんやが始まってから書いたのではなく、すでに書いていて、
アップしようかなと思っていた時に突然息子から「今からそちらへ行くわ」との電話があり、
急にてんやわんやが始まったので、数日後にアップしたものである。
早くから大掃除や一家が住む部屋の準備など受け入れ態勢は整えていたので、
予定日より2週間も早く生まれても受け入れに不安はなかった。

”み”の字が学校へ行っている間が唯一ホッとする自由時間で、
「筋肉を増やそう」は、その間に大急ぎでアップしたものである。

”み”の字の家も我が家も同じ校区になるのだが、通学路が変わるので、
息子と夫と私の3人の内、都合のつく者が学校への送り迎えをした。
私は下校後に通うピアノへも連れて行った。
英語へは、土曜日に曜日を変えてもらって息子が車で連れて行った。
が、ピアノも英語もお正月休みが入るので休みが多くて助かった。

”あ”の字さんの入院中は”み”の字を遅れないように学校へ送り出すことと、
帰ってきたら、おやつを食べさせて、宿題をさせて、ピアノの練習をさせて、
・・・と、我々には思ってもいなかった非日常が始まった。
”あ”の字さんの退院後はそれらの役目は”あ”の字さんがやってくれたので、
気分的にはずい分と楽になった。

歳をとってからは特に年々月日が経つのが早く、
もう1週間が経った、もう1ヶ月も経っていたということが多いのに、
まだ2日間しか経っていない、まだ1週間経っただけだ、と、
1日の経つのが遅くて、5週間先がなかなか見えなかった。

例年通りのクリスマスパーティや、年末とお正月の準備も重なり、
また、”み”の字の誕生日パーティも我が家でやり、・・・と、
いろいろ行事も多くて、大わらわの5週間だった。

年寄り夫婦2人だけの穏やかで静かな生活だったのが激変して、
6人分の山のような洗濯物と食事の世話と買い物だけで1日が終わった。
が、3週間から4週間が経った頃からしんどさが少し軽くなった。
毎日のやらねばならない用事が回るようになり、慣れてきたのだ。
”み”の字が学校へ行っている間は暇だなぁとまで思うようになった。
やっと慣れてきた頃には終わることになるのは世の常である。

ある時、踏み台に上がって台所の棚の物を取ろうとして落としてしまった。
すると、何と!”み”の字がサッと走ってきて拾ってくれた。
「”み”の字はすごいねぇ、サッと走って行ってMizuさんを助けたんだねぇ」
とその時居合わせた夫が言うと、「じいちゃんは”ありゃ”と言っただけだねぇ」
との”み”の字の言葉に大笑い。まさに、夫の常々の所作を言い当てていて、
思わず「”み”の字は良い子だねぇ!」と抱きしめてしまった。

5週間の間、6人全員が元気だったことが何よりだった。
やれやれ、怒涛の5週間が無事に終わって、本当にホッとした。

1月18日(土)に車で何度か荷物を運んで4人は自分達の家へ帰って行った。
翌日19日(日)は京都では今季初めての大雪で、移動の日でなくて良かった。
最後まで何ともタイミングの良いことに感謝した。


バルコニーからの雪景色

「筋肉を増やそう」で書いた「◯◯◯◯」へも再び通い始めた。
5週間も休んでいたので、また1からやり直しだ。

元の日常が戻ってみると、あの怒涛の5週間が早くも懐かしい。


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