敦煌の街と莫高窟
莫高窟とは、敦煌市の近郊にある仏教遺跡のことである。
鳴沙山東端の断崖に南北1600mに渡って掘られた734窟もの洞窟があり、
その洞窟の中には2400余りの仏塑像が安置されており、壁には壁画が描かれている。
一般に開放されている石窟は約40ヶ所で、この中のいくつかをガイドに案内されて回る。
我々が案内されたのは専門的にも詳しい日本語の上手なガイドで良かった。
おもしろいのは、ガイドはいくつかの石窟の門の鍵を持っており、
ガイドが持っている鍵で開けられる石窟を見ることができる訳で、
したがって、ここを見たいと思っていても見られるとは限らない。
よく写真に出てくる最も有名な第96窟。
この中には北の大仏「弥勒菩薩像」が安置されている。
この石窟は見たかったので、中を見られて良かった。
現在世界で一番大きな大仏は楽山大仏で、2位は栄県大仏、3位がこの弥勒菩薩像。
すべて、中国国内の大仏ばかりである。やはり、中国は何事も大きいのがお好き?
石窟の中の写真撮影は禁止されていて、入り口でカメラを預ける。
したがって、石窟の中の写真は1枚もない。
莫高窟へ入る1番目の牌楼。
記念撮影をする中国人グループがなかなか行ってくれない。
莫高窟へ至る2番目の牌楼。いよいよ莫高窟が目の前に。
カメラを預ける前に撮ったこれらの写真が、
莫高窟の外側の様子を伝えられる唯一の写真だ。
こうして見ると、まるでマンションのようにも見えるが、
洞窟のそれぞれの部屋の入り口には鍵が掛けられている。
手前の干上がった川の向こう側にも莫高窟の一部であろう洞窟が見える。
莫高窟入り口前にある近代的な建物の莫高窟陳列館には、
莫高窟の代表的な石窟を復元、展示してある。
陳列館の中は写真を撮っても良いということで、
レプリカであるが、例えばということで写真を載せておこう。
莫高窟の最も早期の物は5世紀前半に造営されたと言われており、
その後の時代もずっと掘られていて、その時代時代によって、
石窟の構造も違い、彫刻の様式や壁画の画題にも違いがあるそうだが、
石窟によっては鮮やかな色が現代にも残っていたことには驚いた。
莫高窟の中の写真を撮れなかったので、載せられる写真が少なくて、
これで終わるのも心残りで、敦煌の街の様子を載せておこう。
敦煌中心部のロータリーの中央には琵琶を弾く天女の像が立っている。
莫高窟の石窟の中の壁画にある「反弾琵琶の図」の彫刻で、
天女が背中で琵琶を弾いているが、実際に背中で弾けるのか??
手前のバイクは3人乗りで(危ない)、背中には奥さんが。
ロータリーからすぐの所に商業一条街や沙州市場がある。
市場へ入る門もなかなかに立派なものである。
商業一条街は、午前中に行った時には開いている店も少なく、
何も乗っていない屋台がずらっと並んでいて閑散としていた。
(食べ物屋はたくさんあり、生鮮食料品の店は朝から開いていた)
それが夜になると、どこから集まってくるのかと思う位の賑わいになった。
たくさんの観光客も夜の散歩を兼ねて、お土産品の品定めに余念がない。
最後はこれで締めくくりましょう。
中国へ来る度に街中で見かける乳幼児のこのファッション?に興味を持っていた。
ただ、黙って写真を撮って怒られたらいけないのでカメラを向ける勇気がなかった。
この時は、今までになく感じの良いお母さんで、こちらに笑いかけてきたので、
思わず「これはとても良いアイデアだ。感心する。写真を撮らせてもらっても良いか?」
と、作れる限りの満面の笑顔で話しかけたが、英語を解らないらしく黙って笑うのみだった。
次は、満面の笑顔でカメラを出し写真を撮らせてもらっても良いか?とジェスチャーで頼んだ。
懸命に英語とジェスチャーでしゃべっていた丁度その時に中国語を話す知人が通りかかって、
中国語で頼んで下さった。 OKということで、この写真を撮ることができた訳である。
オシッコやウンチをさせるのに、これは便利で良い!
おしめの外れた年齢の子供に着せるのだろうが、
おもらしをしたらどうするのだろう? その辺に垂れ流し??
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