Extra Sensory Perception (略してESP) という言葉をご存知だろうか? 「超感覚的知覚」とでも訳せば良いだろうか。 実は、夫にはかつてこの感覚があったと言うのである。 <<その1>> 幼児の頃。 第2次大戦中の神戸で。 その頃神戸で住んでいて、空襲を逃げ惑っていた。 ある時いつものように空襲警報が鳴った。 家族はみんなでいつもの防空壕へ逃げようとしていた。 ところが、その時に限って何故か彼はそこへ入ろうとしなかった。 母親の手を引っ張って抵抗し、どうしても入ろうとしないので、 仕方なく家族は彼を連れて別の防空壕へ入った。 その時いつも入っていた防空壕がやられたそうだ。 別の防空壕へ入ったために、彼と家族は助かった。 <<その2>> 学生の頃。 京都で。 電車に乗ろうとして、何か胸騒ぎを感じた。 それは説明のつかない不思議な感覚だったが、 意識したことはないが確かに常とは違う感覚だった。 それで、その電車に乗るのをやめた。 後で知ったことだが、その電車は事故にあったそうだ。 その電車に乗らなくて事故を免れた。 夫は結婚した頃によくこれらの話をしていた。 ところが、結婚後はいっさいそのような感覚は無いそうだ。 キャラキャラと笑うアホげな私と過ごしている間に、 日常性の中に埋没して研ぎ澄まされた感覚が鈍ってしまったか。 そしていつのまにかこの話題に触れることはなくなっていた。 ESPとは違うが、私の父にも強運の体験がある。 原因不明の微熱が続いていて、静養するために その頃住んでいた広島から実家である岡山へ戻っていた。 昭和20年8月5日。 病状も良くなったので、明日は広島へ戻ろうという前の日の夜。 田舎のこととて、涼みに出ていた家の前でマムシに噛まれたそうだ。 自転車で医者へ連れて行ってもらい、噛まれた足は何とか無事だった。 が、そのために翌日の広島行きは延期せざるを得なかった。 翌日というのは、昭和20年8月6日。 広島に原爆が落ちたあの日である。 マムシに噛まれなかったら、予定通り広島へ行っていたら、 父の人生はその日で終わっていただろう。 原爆が落ちた中心地近くへ戻るはずだったから。 私にはいっさいこの種の体験はない。 いかにも平々凡々の人生であるが、 この人を夫にと決めたあの感覚は吉であったか。 はい、お後がよろしいようで…。 |