桜の季節の銀閣寺



観音殿(銀閣)の前には、白い砂で美しく盛られた「向月台」と、
波紋を表現したこれまた美しい盛り砂の「銀沙灘」が広がっている。


「向月台」は、円錐形に盛った砂の頂上を水平に切り取った形で、
花崗岩が風化して出来たきめの細かい「白川砂」を使っているとか。
台風や夕立や雪が降ったりすると、盛り直さなければならず大変だ。
コンクリートのように硬そうに見えるが、実際はやわらかいとか。


盛り砂は、入り口を入ってすぐの庭の木の周りにも施されていた。


観音殿(銀閣)や東求堂の建物は春の緑の中で美しい。


少し小高い場所にある展望所からの眺め。
「銀沙灘」の波の形までがきれいに見えている。
街並みの後ろにこんもり緑に見えているのは吉田山。


総門から中門への参道。
参道の両側にはカッチリと刈り込まれた生垣があるが、
組まれた竹垣の上ではぎっしりとツバキの木が刈り込まれている。

さて、銀閣寺へ至る疎水べりの「哲学の道」では桜が満開だった。


桜の花だけを撮るのではなく、咲いている様子を撮ろうとすると、
人が入らないように撮るのは至難の業で、たくさんの人が入ってしまう。


「哲学の道」の桜の木は年期の入った古い木が多い。
支え木で支えられてやっと立っている木も多い。


風に吹かれて散り始めた花びらが薄い花筏を作っていた。


花筏といえば、ここは吹き溜まりで、
花筏に和服の女性が花を添えていた。


桜はやはり花盛りというのが良い。


五山送り火の大文字山の「大」の字を背景に桜咲くのも良い。


平日にもかかわらず、この日も大勢の人で賑わっていた。
銀閣寺の辺りは、比較的近くで住んでいた昔には、
哲学の道を通ってあちこちへよく歩いたものだが、
久しぶりに歩いてみて、ずい分と変わったなぁと感じた。
あちらからもこちらからも中国語が聞こえてきたからである。
近くの駐車場にはたくさんの大型バスが駐車していて、
たくさんの観光客を運んできているのだろう。

日本と中国の間には、政治関係ではいろいろ問題があるが、
日本へ観光に来ているあの大勢の中国人を見る限り、
人々の間には問題はないように感じる。

が、静かに哲学の道を歩くということは望めそうにない。
もっとも、桜の季節に歩いたのがいけなかったか…。
いや、夏休みにも、紅葉の季節にも、お正月休みにも、
いつも京都は観光客で一杯だ。

京都で住んでいる者はどこか他所の観光地へ観光に行こう。(^^;)


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