弘前
津軽のシンボル 岩木山(1,625m)
弘前といえば先ずはりんごからというのは何ともMizuらしい始め方だろうか。
しかし、弘前の町を歩くと、どこもかしこもりんごりんごりんごであった。
で、100円バスの「ためのぶ号」に乗ってりんご公園へ行った。
一面りんご畑が続くその向こうに岩木山がそびえている。
実は、この写真は展望台にあったのを拝借したもので、
この日はずっとお天気が良かったにもかかわらず、
残念ながら山の頂には雲がかかっていたのである。
私が撮ったのは下の写真である。
さて、りんごの木にはりんごが鈴なりになっていた。
いろいろな種類のりんごの木が植えられているので、
大きく立派にたわわに実っているりんごから、
まだ小さくて青いりんごまでいろいろだった。
せっかくなので、大きくしておいしいりんごを味わいましょう。
「陸奥(むつ)」という名前のりんごです。
このりんご公園は、延々と続くりんご畑の一角にあり、
外のりんご畑では無人りんご売り場があった。
きれいなピンク色の大きな「むつ」が2個でわずか100円。
りんごといえば、そう、ニュートンです。
やっぱり「ニュートンの樹」がありました。
イギリス原産のFlower of Kent(フラワー・オブ・ケント)。
ニュートンの家の庭に植えられていたのと同じ種類の木。
右は、ニュートンの樹とは関係ありません。
鈴なりといえば姫りんごも鈴なりでした、の図です。
そして、やっぱりありました、りんご追分の歌碑です。
美空ひばりの歌うりんご追分の曲が流れていました。
りんごの木の根元に転がっているりんご。
捨てているのかと思ってそこに居た人に尋ねたところ、
ジャムやジュースにするのだとか、なるほど。
右の写真のりんごの木はかわいそうに折れているのに、
健気に花をつけたのでしょうか、りんごの実まで結んで、
地面に倒れこみながらも立派なりんごがたくさん・・。
りんご畑の一角にあったどのお墓にもりんごが供えてあったのはさすが。
りんご公園の中のポストがりんごなのもさすが。
りんご公園内のりんごの家で食べたりんごご飯もさすが。
しかし、いくらりんごりんごりんごとはいっても、
りんごご飯というのはどうだろうと思ったが、
初めて食べたりんごご飯は大変おいしかった。
話変わって、弘前公園の中にある弘前城。
ちなみに、りんご公園へ行く「ためのぶ号」バスとは、
初代津軽藩主の津軽為信の名前から付けられている。
ここには日本で最古のソメイヨシノもある。
大きすぎて画面に収まりきらない。
その他にも驚くほどたくさんの立派なしだれ桜がある。
花を咲かせる春には見事なことだろう。
さて、今回初めて知ったことだが、有名な青森のねぶた祭り、
青森ではねぶたと言うが、弘前ではねぷたと言うそうだ。
弘前のねぷたは扇形をしていて、青森のねぶたは人形。
津軽藩ねぷた村には、たくさんのねぷたが陳列されていた。
最後は、津軽三味線を聴きながら終わりましょう。
参加した会で津軽三味線演奏者を呼んでいた。
渋谷和生という人とその仲間の人の演奏。
向かって左から2人目の人だが生で聴けて感動していたら、
ねぷた村で彼のCDを見つけて買って帰った。
これで、終わるかと思ったら、やっぱり終わりません。
りんご畑で作業をしていたおばあさんと話をした時のことです。
話をしたと言っても、全然何を言っているのか解りません。
こちらの言うことは解るらしく一生懸命話して下さるのですが、
悲しいかな、何度も聞き返したりおうむ返しに言ってみたり…。
お互いに通じ合わないまましばらく話していると、
木からりんごをもいで下さったので、そのりんごの名前を聞きました。
「しんしゅう」だと言われるので「しんしゅうですか?」と確かめました。
すると「しんしゅ」だと言われるので「しんしゅですか?」と。
するとまだ「しんしゅー」だと。「しんしゅーですか?」と。
新種のりんごなのかと思って「新しい種類ですか?」と。
まだ「しんしゅう」だと言われています。
後で売店の人にそのりんごを見せて尋ねました。
「千秋」という名前のりんごでした。
「せんしゅう」を聞き取れなかったこちらが悪かった。
テレビが普及してから言葉の問題はなくなったかと思っていましたが、
なかなかどうして、お年寄りの言葉は解りません。
東北弁は英語より難しかった!!
八甲田へつづく
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