生野銀山跡
銀山の隆盛の歴史を伝えるために今は観光坑道になっている
石造りの坑口から始まる近代坑道・金香瀬坑。
この日は雨の後だったので山の水の量が多くて、
山肌をぬって垂直に落ちる水は細い滝となり、
坑口の右側に白く見えるのはダイナミックな滝となっていた。
(暗い写真を奥の方まで見えるように修正したので白っぽくなった)
生野銀山は807年開坑、室町年間の1542年に銀鉱脈を発見、
本格的な採掘が始まって、江戸時代には最盛期を迎える。
明治元年に機械による近代化、明治22年には皇室財産になる。
明治29年に三菱合資会社に払い下げられ、
昭和48年に閉山、長い歴史に幕を閉じた。
観光坑道になっている部分だけでも大変な距離に驚いたが、
その間に掘り進んだ坑道は350キロメートル、
深さは1000メートルにも達したと知って、
長年掘り進んだその規模の大きさには驚愕ものである。
岩盤の弱い所は鉄で補強をしていたことの再現。
坑内は年中13度だそうで、
冬は暖かく夏は涼しいとか。
訪ねた9月10日のこの日は、
半袖では寒い位だった。
『太閤水』
岩盤から水が垂れ落ちているのを樽で受けていた。
豊臣秀吉がこの地に入った時にこの水を飲み、
そのおいしさを絶賛して、この水で茶をたてた、
という由来があると書かれていたにしては、
「飲まないで下さい」との注意書きも。(^^;)
ここは、徳川時代に手掘りで掘られた旧坑。
右の人形はその様子を表現している。
写真は小さくしたのでよく見えないが、
坑口両側の岩盤には無数の穴が開いている。
穿岩機の試し掘りの跡である。
「生野代官金香瀬番所」と書かれた、露天掘り坑への入り口。
左の「通行手形を持たぬ者 立入禁止」との立て札は、
この施設のユーモアか。
山の中のあちこちで見られる徳川時代の旧坑・路頭採掘跡。
坑口から中へ入らないように鉄の柵や網で囲っている露天掘り跡。
この辺りの山肌は、なるほど、掘れば何か出そうな岩の色である。
順番が戻りますが、これは、観光坑道の中にあった酒の熟成庫。
お酒を熟成するのに、温度が丁度良いのでしょうね。
「ここで熟成した酒を売店で売っています」と書かれていた。
こんな所で・・商売上手だなと感心した。
で、ハイ、買ってしまいました。。
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