鹿児島から桜島へ



鹿児島市内で泊まったホテルの窓からは観覧車が邪魔をして桜島が後ろに隠れた。


そこで、その観覧車に乗りに行って、一番上から見たのがこの桜島。
桜島は、現在も活動している活火山で、もともとは島だったのが、
大正3年(1914年)の爆発により大隅半島と陸続きになった。


観覧車から降りて、ふと気が付くと、桜島が噴火していた!
しかし、鹿児島の人の話では、桜島は毎日噴火していて、
右側後ろ側から煙が上がっているのが毎日見えるそうだ。
そうか、何だ、珍しくもないのか。
大噴火の時には全国ニュースで見て知ることができるが、
この程度の噴火は人々は慣れてしまって珍しくもないのだ。


鹿児島市街地は薩摩半島にあり、陸続きにはなっていない。
鹿児島市街地と桜島を結ぶ桜島フェリーに乗って桜島へ渡った。
潮風を浴びながら15分間のクルージングで桜島へ着く。
活火山の島であるが、約5000人の人が火山と共生している。

桜島では、その辺りを散策する程度に考えていた。
が、タクシーの運転手が寄ってきて、運転手が言うことには、
「島を1周してあげる。島の裏側へ行けば噴煙が近くで見える」
と言うではないか! でも、私は冷静に考えて言った。
「だって、いつ噴火するか分らないのに見えるかどうか分らないのでは?」
運転手は「いつも噴火しているから裏側へ行けばいつでも見える」と言う。
心が動いた! が、もう一つ私の興味のあることを尋ねてみた。
「桜島大根が植わっている畑を見ることができるか?」と。
運転手「もちろん、桜島大根の畑へも行ってあげる」
これで決まりだ。 でもまだお金の問題がある。
運転手は、1周すれば12000円かかるところを8000円にする、と言った。
決まった! 結局、運転手のガイドで桜島を1周することになった。


車が走り出してすぐに「あ、ガジュマルだ」と思ったが、
これはガジュマルではなく、アコウと言うそうだ。
桜島では大きなアコウの木が群をなして植わっていた。


「この辺りではイルカがよく群れで泳いでいる」と運転手が言った。
その直後、「あっ、居る居る」と言われても、すぐには分からなかったが、
「あ、本当だ。居る居る!」と叫んだら、運転手は車を停めてくれた。
急いで車から降りて写真を撮った。


思わぬことで見ることができた桜島大根の畑。


土の上に顔を出している大きな桜島大根を初めて見た。


普段食べ慣れている大根の葉とは様子が違う。


花は白い花が多かったが、中にはピンク色の花も咲いていた。


溶岩を積み上げて庭の飾りにしたり、ビワ畑にも溶岩を利用している様子など、
いろいろと話して下さる運転手の話を聞きながら車の窓から眺めていた。
この辺りの多くの家の石垣も溶岩をうまく利用した造りのようだ。

その時、真っ黒い煙が上がっているのに気が付いた!


もう少し山や火口が見える場所へと移動した。
というよりも、運転手はこの辺りの場所から早く移動したかったようだ。
被っていた帽子の上にピチァピチャ、プチプチと音がして何やら落ちてきた。
灰が落ちてきたのだ! 桜島の灰は、結構大きな粒で落ちてくるそうだ。


運転手が移動したがったのは、車の窓ガラスまでが割れるからだ。
これは、もう少し行った別の場所で撮った写真だが、
駐車している車には厳重に車全体に覆いがしてあった。
短時間の駐車でも窓だけでも守ろうと毛布で覆っていた。


ついでながら、公衆電話にもこんな立派な屋根が付いていた。


なお、降灰は日常のことで、お墓にも屋根がある立派な墓ばかりである。


車を走らせる間にも、噴煙が見える場所では車を停めて写真を撮らせてくれた。
タクシーには客用の傘も用意されていて、夫と私2人分の傘を貸してもらった。
もちろん、雨ではなくて灰が降ってくるのを防ぐためである。


黒神埋没鳥居。
上で書いた大隅半島と陸続きになった大正3年(1914年)の大爆発で、
黒神町一帯は火山灰や噴石などで埋め尽くされてしまったとか。
腹五社神社の鳥居は上部だけをわずかに残して埋まってしまい、
今でも上部だけが出ているそのままの姿で残っている。
左側に見えるのは、ここにも大きなアコウの木があった。


確かに、この程度の噴煙はずっと上がっていた。


ここにあった小屋の窓から何かが覗いていた。
京都大学の桜島観測のライブカメラだそうだ。
カメラは上を向いているので、我々が映った心配はない。(^^;)


避難港。 各地域毎に避難用の港がある。


避難壕。 幹線道路沿いには噴石を避けるための避難所がいくつもある。


避難壕は、噴火口に近い地域では、民家の庭にも見られる。
右側に見えているのは危険を知らせるサイレンだそうだ。


噴火口に近い地域では、壊れた家が何軒もそのままで残っていた。


車、公衆電話、お墓、避難港、避難壕などなどの様子からも、
人々が如何に活火山の桜島と共存して生きているかが分る。
民家の玄関先には黄色いビニール袋が積み上げられている。
掃き集めた灰を入れた袋を収集してもらうためだ。
道路にはこのようにいつも灰が溜まっているようだ。

しかし、慣れているとはいえ、生活は大変だと想像する。
毎日の灰で洗濯物も外では干せないそうだ。そうだろう。

前頁で書いた「玉手箱号」(こちら)で隣に座った人が鹿児島市の人で、
その人の話では、鹿児島市でも洗濯物は外へ干せないと言っておられた。


有村溶岩展望所。
大正3年(1914年)の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘の上にあり、
360度展望できて、桜島の迫力と火山エネルギーを感じることができる。


さて、おもしろいことに、桜島には桜の木がない。
そこで、名前にふさわしく、桜の木を植えたのがこの公園。
なるほど、最近になって植えたのか、どの木も見るからに若い。


波をけって桜島に別れを告げた。

住んでいる人達にとっては、平穏に暮せるよう、噴火は控え目にして、
訪れる観光客には、おぉーっ、と感激できる程度に噴火して見せてくれる、
そういう程々の噴火をして下さいと桜島にはお願いしたいものだが、はて。


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