加茂盆地を歩く


京都府南部にあり奈良市と接する木津川市は市内中央に木津川が流れている。
奈良時代には聖武天皇が平城京から現在の木津川市に都を遷して、
恭仁京(くにきょう)として5年間日本の首都となった所である。

暑くもなく寒くもない晴天に恵まれたこの日、木津川市の加茂盆地を歩いた。
JR加茂駅東口を出発して地図を見ながら約1km約20分歩いて御霊神社へ。


御霊神社。
灯明寺の鎮守社だっが、灯明寺の建物は横浜の三渓園へ移築されたため
跡地には本尊などを安置する収蔵庫がある。

続けて地図を見ながら歩くこと約2km約40分で岡田鴨神社へ着く。


が、その前に薬師寺へも寄った。


岡田鴨神社。
本殿は春日大社の本殿を模した「春日移し」と呼ばれる建築様式で、
この神社は、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)の元宮である。


更に歩くこと約0.5km約10分でこの恭仁大橋を渡る。
橋を渡ってからは木津川より北側の瓶原(みかのはら)を歩くことになる。
「みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」(百人一首)


恭仁大橋北詰には万葉歌碑がある。
「今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし」


大伴家持の歌碑の上にはたくさんのどんぐりが供えて?あった。
「よろしき山なみ 泉の流れ永遠に いにしえの恭仁の都」

予定ではここから約1km約15分歩いて昼食にするつもりだったが、
買っておいたおにぎりを食べるのに適当な場所が見つからず、
見晴らしの良い場所までもう少し歩くことにした。


加茂盆地を見下ろせる所には茶畑が広がっていた。
かなりきつい登りがずっと続き、最後の石段を登り切った。
結局、約2kmを約1時間(登り道)で海住山寺まで歩いて、
山へ入ったらそこはお墓だったが(泣)、そこで遅い昼食にした。


海住山寺本堂の傍らにある国宝五重塔。
五重塔の開扉と文化財が特別公開されるこの日に訪れた。
海住山寺は聖武天皇の願いで東大寺の良弁僧正が開創したと伝えられている。

紅葉にはまだ早い時期だったのに、五重塔の辺りだけ紅葉があり、
貴重な紅葉を入れて写真を撮ると、それぞれ上と下が紅葉で隠れて、
2枚でやっと五重塔全体が見える写真になってしまった。汗。


写真撮影は禁止の中、ここは撮っても良いと言われて撮った
桃山時代の狩野派による襖絵を眺めながら外に目をやると、
座って眺める本坊庭園からの風景もなかなかに美しかった。


海住山寺を出発して約2km約30分で史跡・恭仁宮(くにのみや)跡へ。
周りの田んぼにはたくさんのコスモスが植えられていて丁度見頃だった。


恭仁宮大極殿跡。


山城国分寺跡。
聖武天皇により恭仁宮から難波に都が遷されると、
宮跡の中心部分は「山城国分寺」として生まれ変わった。

こうして完成した山城国分寺も鎌倉時代以降は勢力が衰え、
寺の規模も縮小して消え、現在では巨大な礎石が残されている。

史跡・恭仁宮跡から約1km約15分で恭仁神社へ。

更に、約2km約30分で恵美須神社へ。

木津川の土手沿いを歩いて、恭仁大橋を渡り、加茂駅到着でこの日の歩きは終了。
約14km約5時間半の歩きだった。


さて、これは何でしょう?
海住山寺の境内にあったものだが、「願いを叶えるなすのこしかけ」。
「茄子の花は一つの無駄もなく実を結び、また、「成す」と語呂が同じところから、
努力は報われ願いは叶えられるという縁起を含んでいます。
願いを込めてお座りいただき、一心にご祈念下さい。」

と続くが、「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」
というところが特に気に入った(?)。


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