マツタケ狩り

マツタケ狩りに行ってきた。
期待が膨らんで、4本採れたら2本は近くの知り合いにおすそ分けしよう、
6本採れたら、2本を息子にも送ってやろう、などと皮算用していた。
しかし、素人には簡単には見つけられないとの山の案内人の話を聞いたり、
10年間で見つけたのは1本だけという常連の人の話を聞く内に、
1本採れたら万々歳かなぁと段々心細くなってきた。

マツタケ狩りというのは、山でのマツタケのすき焼きパーティも楽しみだが、
私にはマツタケを見つけるということに並々ならぬ期待感がある。
写真を撮るためにマツタケを見つけるという秘かなる闘志を燃やして望んだ。

何本でも見つけたマツタケはもらえることになっており、
案内人は、見つけられない人には教えてくれそうな雰囲気だった。
山の中を歩き出してしばらくした頃、先ず、夫が1本見つけた!
1本見つかったらその周りを探せば数本はあるという子供の頃の記憶があり、
他の人に知られないよう、二人で興奮を抑えて騒がず静かに探したが、
1本しか見つからなかったので、先ずは写真を撮った。


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写真を撮っている間に他の人にはどんどん先へ行かれてしまった。
追いついてきた小さな子供に「いいなぁ。私もほしいなぁ」と言われたが、
(心を鬼にして)こればかりは小さな子供でも譲ってやる訳にはいかない。

夫に見つけることの先を越されて、あせった、あせった。
案内人が近づいてきて「お姉ちゃん、おいで。ここにあるよ」と言うので、
寄って行った。寄って行ったのにまだ「早くおいでよ」と言っている。
なんと私を呼んだのではなかったのだ。若い女性を呼んでいたのだ。
若い女性は「ここにある」と言われてもどこにあるのか見つけられない。
私は「ホントだ。あそこにある!」と見つけられたのに採ってはいけない。
若い女性はやっと見つけて「わぁー、感激!」と黄色い声を上げて喜んでいた。

案内人は「なんだあんたもまだ見つけられてないのか?」と私にも声をかけた。
「おばさんには教えてもらえないの?」と、ひがんでしまった。
そこで、ますます秘かなる闘志を燃やして探し始めたその時、見つけた!!


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思わず「あったぁ!!!」と大きな声で叫んだので、夫も寄ってきた。
「自力で見つけた!!自力で見つけたからもう教えてもらわなくていい!!」
と案内人にも大声で言ったら、「おお、それは良かった良かった!」と、
案内人はいかにも安心したような顔をして喜んでくれた。
夫の採ったマツタケよりも笠は肉厚だし軸も太くて、
みんなから私のは立派なマツタケだと褒めてもらった。

先に見つけた夫は俄然もう1本見つけようと張り切って、
「おい、お前は写真を撮っておれ。先に行くぞ」
と、どんどん先に行ってしまった。
しかし、先に行ったからといって見つけられるものでもない。
後から来ていた人の中に3本も採っていた人が居た。
常連で10年間で1本見つけただけという人のグループの人で、
その人は毎年3本を見つけていると言っていた。
やはり見つけられる人とそうでない人があるようだ。

結局、我々は夫婦で2本の収穫だった。
親しくなった同年代のご夫婦は1本だけ。
若いグループの男性は4人で1本で、羨ましがられた。


収穫したマツタケを籠に入れてもらって撮影。
おお! 立派な高価なマツタケだ!
おお! これが日本の松茸の香りだ!
この2本のマツタケは大事に家へ持って帰って、
焼き松茸とお吸い物にして食べた。

これは2人前のすき焼きの材料

マツタケ狩りの後は松茸料理をいただく。
プーンと辺り一面に松茸の香りが漂う。
三田牛肉と松茸のすき焼き、焼き松茸、土瓶蒸し、吸い物、松茸御飯
と、これすべて松茸の料理ばかりで、幸せ気分も漂う。
これらの松茸は、前日に山で採ったものだそうだ。

当然ここで疑問がわく。
客へ出すこれだけたくさんのマツタケはプロの目で探せるだろう。
見つけられる人と見つけられない人の差があるのは仕方ないとしても、
マツタケ狩りに来る客が誰も1本も採れないでは済まないから、
やはりある程度は見つけられる山でなければならないだろう。
尋ねてみて、疑問が解けた。
松茸を提供する人はいくつもの山を持っているそうだ。
今日はこちらの山、明日はあちらの山・・という風に、
毎日違う別の山を案内するそうだ。
そうすればマツタケも次々に出てくるという訳。
そういえば、我々が行ったあの日だけでも、
時間的に後から来たグループの人達は、
我々とは別の方角の下の方で探していた。
みんなが探し尽くした後では見つからないだろうから、
ちゃんとルートを分けているのだ。
なるほど。

と、「マツタケ狩り騒動」でした。
香りをお届けできないのが残念、残念。


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