私は近眼で老眼だ。 近くが見えて遠くも見えるのなら良いのだが、 その反対で、遠くも近くもよく見えない。 最近ますます見えなくなったと目をしょぼしょぼさせながら言ったら、 「パソコンのやり過ぎだ、パソコンするのを控えろ」と夫は言う。 そう言った口の先から「これを入力してくれ」と言って原稿を差し出す。 Tex(テフ)、LaTex(ラテフ)というのをご存知だろうか? “てふてふ”と言っても、蝶々のことではありません。(^^;) 理系の人なら論文や本を書く時に使っていることでしょう。 数式を扱う文章を印刷した時にきれいに出るようにしてくれるソフトのことです。 数学記号や数式は各々フォントが違い、キーボードの入力ではきれいに出ない。 そこで、これを使うと文字間のスペースなどを自動的に調節してくれる。 が、普段使い慣れていないと、これが実にややこしい。 論文1つ、本1冊分を入力し終わる頃にはさすがに慣れてくるが、 しばらくやらないでいると、アッという間に忘れてしまう。 何しろ、普段のパソコン入力には全く関係のない入力法なのだから。 ごくごく基本的な入力法を例として書いてみると、次の通りである。 掛け算の×は\times、割り算の÷は\div、無限の∞は\inftyと入力する。 矢印→は\rightarrow、二重矢印⇒は\Rightarrow、両方向矢印⇔は\Leftrightarrowと打つ。 シグマ(Σ)は\sum、ルート(√)2.5は\sqrt{2.5}と入力する。 第1章「基礎概念」を \chapter{基礎概念}\label{c1} としておき、 第6節「数学的帰納法」を \section{数学的帰納法}\label{s1.6} としておけば、 章は大きな太文字で、節はその次に大きな太文字で、と自動的に調節して、 スペースも適当に入れ、番号も順番に自動的に調節して入れてくれる。 (A)---(B)---(C)---を箇条書きにするには、 \begin{verse}(A)---\\(B)---\\(C)---\end{verse} などとする。 つまり、一つ一つ細かい約束事に沿って入力する訳だ。 入力する原稿が全文英語の原稿ならまだしも、 日本語の原稿の場合は、数式の間に細かく日本語が入るので、 英語と日本語の入力が入り混じって、混雑極まりない。 原稿の内容は私には全く理解不能なので機械的に入力しているだけなのが、 かえって1文字1文字凝視しながら入力しなければいけないので、 こんな入力をしていると、近眼・老眼に加えてパソコン眼になってしまう。 もともと私の目は高校1年生頃までは正常だった。 その頃急激に近眼が進んで黒板の字が見えにくくなってしまった。 視力は1.2から、何と0.1にまで落ちた。 高校からの近眼は受験勉強のせいだと本人は言うのに、 誰も私の目が勉強のし過ぎで近眼になったとは信じてくれない。 どんなに勉強のし過ぎだと言っても、第1志望の大学に落ちたのだから、 テレビの見過ぎだと言われても、反論は空しく聞こえるばかり。 これには続きがある。 私は大学に入ってしばらく経った頃、19歳の時に車の運転免許を取った。 条件のところには、眼鏡着用と書かれていた。 結婚後、免許証の更新に行ったら、何と眼鏡着用の条件が消えた。 つまり、いつの間にやら0.7以上まで視力が回復していたのだ。 そういえば、テレビの画面がきれいに見えるようになっていた。 これを知って、俄然夫は言いましたよ。 「お前は結婚後は安心して(何に?)よっぽど勉強しなくなったんだな」と。 そりゃあ、そうだ、結婚後すぐに妊娠、流産、再びすぐに妊娠…と、 1才9ヶ月違いの男の子2人の子育てに追われて、 眼を酷使する勉強などはしなかったが、いろいろ社会勉強はした。(^^;) 親戚も友人も誰一人として居なかった京都へ結婚のためにやってきて、 今のようにいろいろな子育て支援など無い、核家族の中で、 自分の母性本能だけが唯一の頼りの無我夢中の子育てで、 確かに勉強などしなくなってましたよ〜。 近眼で老眼の上に最近はパソコン眼にもなってきましたから、 世の中のことがすべてオブラードに包んだようにぼんやりと見えます。 みなさんのお顔のシミもシワも減らず口も見えませんから、 安心して寄ってきて下さい。 |