新選組壬生屯所遺跡



八木家は、壬生村きっての旧家で、新選組が結成された家だとか。
中京区にある壬生(みぶ)という地(当時は洛西壬生村と言った)に、
幕末の文久3年(1863年)の春に浪士たちは宿所を求めて、
ここ八木家を宿所としていた芹沢鴨や近藤勇、土方歳三たち13名は、
八木家の門柱に「新選組宿」という新しい表札を掲げ、
ここに、新選組が誕生したということだそうだ。


上の門より中では撮影禁止なので、
これは門の外から門の中を撮ったもの。


八木家の家紋と新選組の旗印の「誠」。
源頼朝の富士の裾野の巻狩りの時に、
関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で、
頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと云われている。


「新選組遺跡」と彫られている。
八木家の奥座敷は、新選組三大内部抗争の1つ芹沢鴨暗殺の場であり、
その時の刀傷の一部が残っていて、その凄惨さを感じることができた。


「新選組屯所遺跡」と彫られている。
幕末の京都の治安を守った新選組壬生屯所時代の姿があった。
14代将軍家茂の上洛にあたり、その警護のために上洛した浪士たちは、
江戸に呼び戻されることになったのに、その中で13名だけは京に残り、
上で書いた通り、新選組が誕生したということになるのである。


部屋の内部は撮影禁止というのはよくあるが、
ここは、門の中からは庭も撮っては駄目で、
門の外の写真だけで、とにかく写真が無いので、
簡単だが、この辺で終わりとしよう。

なお、土方歳三は、花街の女性達に人気が高く、
数多くの恋文をもらっていて、その恋文をまとめて冊子にして、
モテ自慢の手紙と一緒に東京の親戚へ送っていたとか。
だが、その冊子は残っていないそうだが、
親戚に宛てたモテ自慢の手紙は仙台市博物館に保存されているとか。




戻る   目次へ