服部緑地の日本民家集落博物館



豊中市の服部緑地公園内に、日本各地から代表的な民家を移築して、
昔懐かしい関連民具と合わせて展示している野外博物館がある。

北は岩手・南部の曲家から、南は鹿児島・奄美大島の高倉まで、
12棟の民家を集めていて、昔の日本の暮らしが見えてくる。

民家はすべて江戸時代(17世紀から19世紀)の建築で、
その土地の自然を活かし、風土や習慣と調和しながら
生活していた人々の知恵と暮らしぶりがうかがえる。


東大阪市布施の長屋門(大阪府)。

農民では庄屋にのみ許された格式ある門で、
左側は共部屋、右側は土蔵となっている。
なお、この博物館の正門となっている。


大阪堂島の米蔵(大阪府)。

江戸時代の大阪には全国の物産が集まり、
堂島の米市場の相場は全国の米の相場を左右して、
堂島川沿いに各地の大名の米蔵が建ち並んでいた。


日向椎葉の民家(宮崎県)。

家の背後は山腹に接し、急な山の斜面に沿うように建てられ、
部屋が横一列に並んだ奥行きの狭い並列間取りの造りである。
椎葉村はかつて秘境と言われ、平家落人の伝説が伝わっている。


信濃秋山の民家(長野県)。

秋山は、長野県と新潟県の県境にある豪雪地帯で、
入り口が前に張り出した「中門造り」になっている。

特徴的なのは、屋根の茅葺だけでなく壁も茅葺で、
夏は薄く、冬は暖かいよう厚く、葺き替えるそうだ。

また、床は張らずに、土間に茅を広げて、
その上にムシロを敷いた土座住まいも特有。


大和十津川の民家(奈良県)。

奈良県と和歌山県の境にある十津川村は吉野紀伊山地にあり、
山の斜面を削って家が建てられ、部屋は横に細長く並んでいる。
杉の産地なので、屋根には薄く削った杉皮や杉板が用いられた。


越前敦賀の民家(福井県)。

琵琶湖の北岸から福井県西部に見られる湖北型民家。
豪雪地帯なので、太い梁材を使い外壁に柱を塗り込め、
豪雪に耐えられるような頑丈な造りになっている。


北河内の茶室(大阪府)。

旧・庭窪(現・守口市)で建築され、移築されたもの。
数寄屋造りの4畳半の茶室と3畳の勝手、水屋、物入れ。
屋根は茅葺で、一部が瓦葺きと銅板葺きとなっている。


南部の曲家(岩手県)。

馬の産地として栄えた旧南部藩の農家。
馬を飼うための家として曲家が発達した。
母屋とうまやをカギ型に繋げた造りになっている。


小豆島の農村歌舞伎舞台(香川県)。

村の神社の境内に建てられた歌舞伎舞台。
芝居をする時には前面に花道を取り付ける。

舞台で芝居をする役者も、観客も村人で、
農村歌舞伎は、村の大きな娯楽だった。


奄美大島の高倉(鹿児島県)。

南西諸島や八丈島に現在もわずかに残る高床式の倉庫。
高温多湿の気候に耐え、米や干物、着物等の保存に最適だ。
柱も、ネズミの爪もかからないような堅い木で作られている。


摂津能勢の民家(大阪府)。

大阪北端の能勢地方から丹波・日本海にかけてある民家。
屋内を2分し、片側を土間、もう片側を部屋とした間取りが特徴的。
軒は低く、開口部が極めて少ない、など古民家の特色を残している。


飛騨白川の合掌造り民家(岐阜県)。

飛騨白川地方より移築したこの民家が合掌造りと呼ばれるのは、
茅葺・切妻の大屋根が掌を合わせた形になっていることから。

強い風にも雪の重さにも強い構造になっていて、
1階は生活の場、2階3階ではカイコを飼っていた。


終わりにふさわしいかどうか、
合掌造り民家の庭先にナタマメが。

ナタマメを漢字で書くと「刀豆」だそうで、
江戸時代建築の民家の話題の終わりに良い?

福神漬けに入っているナタマメ以外に、
店で売られているのを見たことがない。

実は、むかし田舎で住んでいた子供の頃に、
ナタマメを漬物にしたのが好きでよく食べていた。
木に生っているナタマメを見たのも懐かしかった。



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