無鄰菴は、山縣有朋の別邸で七代目小川治兵衛の作庭である。 説明文によると、「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つあり、 最初の無鄰菴は、山縣の郷里、長州・下関の草庵で、 名前の由来は、この草菴に隣家がないことによる、とか。 第二の無鄰菴は、京都の木屋町二条に購入した別邸(こちら)。 第三の無鄰菴が、京都・南禅寺参道前に造営した別邸で、 「無鄰菴会議」の舞台ともなった場所である。 ここでは、第三の無鄰菴について書くことにする。 |
「むりんあん」の表記にはいろいろあり、 「無鄰菴」は、母屋の扁額にある字体で、現在、京都市ではこれを使用している。 「無鄰庵」は、国の名勝指定時の字体。 「無隣庵」は、常用字体。 昔の新聞記事はこれを使用していた。 と書かれている。 なお、 すべて正しく、間違いではありません。 園内でのご案内に際しては、「無鄰菴」を使用いたします。 とも、書かれています。 |