平城宮跡から若草山へ
今年は平城遷都1300年ということで奈良では平城遷都1300年祭が行われており、
奈良散策に出かけた日は平城宮跡会場が4月24日にオープンして5日目ということで、
先ずは平城宮跡の復元された大極殿を見物してから奈良散策を始めることにした。
オープンの初日も、その後のゴールデンウィーク中も大変な行列だったそうだが、
4月29日というこの日は時間が少し早かったからか比較的すんなりと入れた。
大極殿は、奈良時代に、天皇の即位式や外国使節との面会など、
国の最も重要な儀式のために使われていた平城宮の中核的建物である。
大極殿の中に再現された天皇が着座された「高御座(たかみくら)」。
大極殿の中から広場のはるか向こう800メートルの所に朱雀門が見える。
朱雀門は、平城宮の正門であり、外国使節の送迎を行ったり、
正月には天皇がこの門まで出向き新年のお祝いをすることもあったとか。
あれっ?と思ったのは、朱雀門の前を電車が通っている!
電車が通っているのに気が付いて急いで写真を撮った。
望遠で撮ったのでぼやけているが、近鉄奈良線だ!
この後この日の散策コースである法華寺、不退寺、東大寺転害門、
東大寺二月堂などを経て、手向山八幡宮を通り、若草山へ。
さて、これが若草山だと言うと誰しもが疑問に思われるだろう。
若草山のイメージは、全体が緑の芝生に覆われているなだらかな山肌だ。
ところが、あのなだらかな芝生の山肌の側をこのような山道が通っていて、
しばし山道のハイキングを楽しみながらここから山頂を目指す。
これが芝生に覆われたあの若草山の山肌を上から見たのかというとそうではなく、
これはあの若草山の更に上部分で、あの「若草山」からはここは見えない。
若草山は一重目、二重目、三重目(山頂)を目標にして登ることができる。
一重目と二重目の間のここからは東大寺や興福寺境内を眼下に見ることができ、
ここへ来る前に見てきた平城宮跡大極殿も友人持参の双眼鏡で見ることができた。
さっきの所が頂上かと思えば更なる先に頂上らしきものが見えて、
更に今度はあちらに見えているあの山の頂上を目指す。
さて、その頂上らしき所に着くとそこはまだ二重目で、
何たることか、まだ向こうに頂上らしきものが見える。
若草山は、一重、二重、三重と山が連なっていて、
山が三つ折り重なっているため三笠山とも呼ばれていたのが頷ける。
こんな山の上に消火栓があった。
若草山の山焼きの時のためだろう。
周りにあったのは焼け残ったススキ?だろうか、先が黒く焦げていた。
確かにここが頂上だと、案内板には「若草山三重目 標高342m」とあった。
頂上からは大和盆地(奈良盆地)を一望できる。
奈良公園と隣接しているため若草山にも鹿が多数生息していて、
こんな頂上にもたくさんの鹿がいて人間に慣れているところをみると、
ここの鹿も人間から餌をもらっているのだろうか。
しかし、奈良公園の鹿のように煎餅をねだりには来ない。
実は、上の頂上よりもこちらの方が高いのではないかと思われる場所があった。
「芝生養生中」と書かれていて、その辺り一面緑の網が被せられていたが、
その中に確かに三角点があるのが見えた。
この場所は若草山の頂上にある鶯塚古墳だそうだ。
前方後円墳で、仁徳天皇の皇后の墓と言われているとか。
若草山山頂から天然記念物に指定されている春日山原始林へ。
奈良の市街地近くにこんな原始林があることを初めて知った。
春日大社の山として神聖視され、狩猟と樹木伐採が禁じられてきたために、
人の手の加えられない原生林が広がって残っているとか。
さぁ、この写真で「これが若草山だ」と、安心できたでしょうか。
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若草山がこんなに奥深いとは知らなかった。
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