伊豆大島・三原山へ



前日に下田で泊って石廊崎を訪ねた後は、再び下田へ戻った。

53年前の新婚旅行の時は下田で泊り、下田から船で伊豆大島へ渡った。
しかし今は、下田から伊豆大島への船は出ておらず、熱海からしか行けない。
(もちろん、東京からも行けるが、それはまた別問題だ。)
そこで、熱海でもう1泊する予定で、下田から熱海へ向かった。

石廊崎から下田へは予定より早くに戻れたので、早い切符に買い替えた。
するとそれは「サフィール踊り子号」という全車両グリーン車だった。
こんなところで、思わぬことで、グリーン車に乘ることができた。


泊ったホテルの部屋から見た朝の風景は去年と同じ(こちら)。
同じホテルに泊まったが、写真で見ると去年は雨が降っていた。
今年は、ホテルの前の熱海港から伊豆大島へ向けて出港した。
船の写真は逆光で暗いが、2枚目の写真の左端の青色の船だ。


熱海からは、高速ジェット船で45分で伊豆大島へ着いた。
船が着くのは元町港か岡田港で、この日は元町港に着いた。
その日の天候により、当日にどちらの港に着くかが決まる。

元町港から三原山頂口まではタクシーを頼んだ。
(三原山頂口までのバスは土日祝日しか出ない)
帰りも迎えを頼んで、往復で1万円以上かかったが、
女性の運転手さんがガイドもして下さって、良かった。


三原山へ登る前に、地層の大切断面を見に寄ってもらって、
タクシーなので、写真を撮るために停まってもらったりした。

これは、見事な地層の縞模様の大地の年輪である。
伊豆大島は現在も火山活動を続ける火山島で、噴火を繰り返してきた。
長い年月をかけて何層にも降り積もった火山灰などの堆積物が、
地層の美しい縞模様となって現れているのが地層切断面だそうだ。
過去2万年で約100回噴火した歴史が地層に刻まれているとか。


さぁ、ここからは、タクシーを降りて(迎えを頼んで)、
山頂口展望台から眺める三原山山頂(火口)を目指して歩く。

ここから見えている左側の高い頂が最高点の剣ヶ峰で、
右端が1950〜1951年の噴火で出来た三原新山。
山肌から続く黒い筋は1986年の噴火で流れ出た溶岩。


歩き始めは、舗装された道で歩き易かったが、
すぐに、道の両側にはいろいろな形の溶岩が。


所々では、避難壕も設置されていた。


急な勾配が続く場所では、はぁはぁ言いながら登っている我々は、
下りてきている2人連れに「もうすぐですか?」と尋ねると、
「いえ、まだまだありますよ。」と正直な答えをされた。
次に下りてきている3人連れにも「もうすぐですか?」と。
すると、「もうすぐですよ」と、やれやれと安心できる答え。
でも、「ワハハハ」と笑われては、「そば屋の出前」だった。


山頂に到着するとすぐに鳥居が目に入ってくる。三原神社。

三原神社の鳥居の脇には大きな溶岩が鎮座している。
「マグマのしぶきがくっついた岩」だそうで、
1986年の噴火で噴き上げられた大量の溶岩の
しぶきが積み重なって出来た塊だとか。
火口からあふれ出た溶岩流に乗って、
ここまで流れ着いたのだとか。


ということで、岩のアップ写真を。


さて、いよいよ火口に近づいてみた。
「火口展望台」から「火口西展望所」までを歩いたが、
どちらの展望場からも、火口の底までは見えない。
「火口展望所」からは火口の底までよく見えるそうだが、
それには火口を1周するコースを歩かなければならない。

三原山の東部に広がる裏砂漠と呼ばれる真っ黒な地面と、
本当は、火口1周コースも歩きたかったのに、
この日に京都まで帰る予定で、時間的な余裕がなく、
体力的にも裏砂漠と火口1周コースというのは諦めた。


火口のパノラマ写真は(こちら)。


走っている若者に声を掛けて、話を聞いて驚いた。
元町港から三原山頂口までの往復タクシー代に1万円以上を払った距離、
三原山頂口から火口の見える山頂まで歩いて記録した16000歩以上の距離、
その上、我々が諦めた火口1周コースと裏砂漠までをすべて走ってきたそうで、
これから元町港まで走って戻る、と聞いて、「すごい!」としか言えなかった。


熱海から伊豆大島への行きは青色の船だったが、帰りは赤色の船で戻った。

前ページで書いた「石廊崎にて」の最後は、豪華だった料理の数々で終わった。
熱海で泊った去年と同じホテルも、料理で選んだので料理がおいしかった。
夫が楽しみにしていたキンメダイ熱海煮と私が楽しみにしていたアワビ踊り焼き
などなど「伊豆大島へ行くはずが熱海止まり」で載せたので、もう一度(こちら)。


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