岡山の桃畑



今年は桜の開花が遅いと思っていたら、桃の開花も遅かった。
例年ならこんな時期にはもう桃の花は散っているはずだが、
今年はまだこんなに残っていて、満開の桃の花を楽しめた。

 

摘花が終わっていない木にはこのように団子状に花がついている。

一面をピンクに染める桃畑を見に観光バスがやってくるようになった。
昨今は和歌山の桃が有名だが、昔は桃といえば岡山だった。
岡山の片田舎で農家の人達が黙々と作っていた桃だが、
観光バスがやってくるようになるとは思ってもいなかった。


その結果、観光客を意識して色塗られたガスタンク。
桃の色形に塗られたことには賛否両論あるだろうが、
桃の里のシンボルでもある。

子供の頃、この桃の里で私は育った。
岡山といえば、桃の他に葡萄も大事な産物だった。
私の親の更に上の親の代には桃と葡萄を出荷していた。
私にも桃や葡萄の袋かけや選別を手伝った記憶がある。
昔は子供も大切な労働力だったのだ。

も一つ、今から考えると勿体ないという記憶がある。
それは、出荷する桃は傷のないきれいな物だけを選別し、
残りの桃が家族の口に入る。
(畑で木からもいで食べる桃はきれいな桃も口に入ったが)
それでも食べきれない大量の桃は田んぼの畦に捨てられていた。
田んぼのあぜ道にずらっと捨てられている大量の桃の記憶は鮮明だ。
桃は土に返って土の栄養になっていたのだろう。
その記憶が鮮明なために、今でもお金を出して桃を買う気にはなれない。
おもしろいもので、昔から大量に家にあったものの中で、未だに
葡萄と桃はお金を出して買うものではないという気持ちを変えられない。
よって、父が亡くなって以後のこの15年間はいただきものがありがたい。


ピンクに染まった桃畑の上で青空に泳ぐこいのぼり。

     

これは何だと思います?
そう、クレソンです。
クレソンといえば、洋食にほんの少し添えられる野菜です。
が、家では大量に採れるクレソンをおひたしにして食べます。

父が業者に頼んでボーリングして掘った井戸から良質の水が湧き出ている。
この良質の水が常時流れ出ていて、ここでクレソンを育てている。
水枯れしないで常時流れ出る水を利用して水路を作りそこへクレソンを植えた。
それが増えに増えて、生い茂ったクレソンの下の水路が見えないほどだ。
後ろのピンクの色は、今は姉が細々と作っている桃の木。

父は40年程前の当時100万円ものお金をかけてボーリングした。
お金が無駄だと文句を言う母に「おいしい水を売れば儲かる」と言った。
しかし、お金を出して水を買うなんてことが常識ではなかった頃の話で、
結局商売にはならず、家族だけでおいしい水を飲んでいた。
夏でも冷たく、水質検査もしてもらった上で確かにおいしい水で、
容器に入れて車で運んで、福山の家へ持って帰っていた。
福山で住んでいた頃に、岡山の田舎の山や田や畑を受け継いだ父は、
広島県・福山市から岡山まで通って日曜農業をしていた。
母は農作業には向かず、もっぱら収穫する人と食べる人だった。
私は「食べる人」。


この写真は、少し不明瞭だがワラビ。
家の近くの小高い山の上の畑に生えている。

山へ行ってはワラビ採りに夢中になる私を見て、
ワラビをたくさん採れるようにと父が畑へ植えてくれた。
でもねぇ、
ワラビというのは、山で見つけるからこそ楽しいのであって、
見つける必要もなく、畑で簡単に採れたのではおもしろくはない。
それも、畑でたくさん生えてきたのでは興味を失うというものだ。
発癌性があると言われ始めてからはワラビを食べることも少なくなった。
(ワラビを食べ続けた母は今年94歳になり健在。亡くなった父も83歳だった。)
しかし、父が植えたワラビは今でも畑で生えてきていた。

久しぶりに山のワラビではない亡き父の畑のワラビを食べた。


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