センチメンタルジャーニー

バドミントン編

高校1年生の時、私はバトミントン部に入りました。
先輩(男子)から県内の新人戦に出るように言われて、確か2位になりました。
最初、私の試合は誰にも見てもらえなくて、孤独に気楽に戦っていました。
勝ち進むうちに、先輩たちが「えっ、何だ、何だ、勝っているのか?!」
と気が付いてくれて、応援に来てくれるようになりました。
とたんに負けが込んできて、最後は負けました。
「よく頑張ったよ。最後はあれは体力の差だ」と、慰めてくれました。
後日高校へ表彰状が送られてきて、朝礼で表彰されました。
ところが、名前を呼んでもらう時、先生が読み上げるのを詰ったのです。
それもそのはず、表彰状をもらってみると、「** *子」という名前が
「** *」となっていて、「子」が書かれていなかったのです。

スキー編

このバトミントン部の1年先輩たちがおくての私のことを意識し出したのは
この時からでしょうか、その年の冬休みに大山でのスキー教室に参加した時、
私が滑って転ぶと、「おい、転んだぞ!」と、どこからともなく
そんな声が聞こえてきて、気が付くと彼等からカメラを向けられていました。
いやおうなく私も意識するようになりました。
でも、この時のスキーの思い出は男の子のことよりも、
♪雪よ〜山よ〜♪、♪雪の降る街を〜♪、♪娘さんよく聞けよ〜♪、
♪ある朝〜目覚めて〜♪などと山や雪や恋人の歌を歌って、
外の冷たい雪の中に埋めていたミカンを取り出して、
シャーベット状になったミカンを震えながら食べたりした楽しい思い出です。

大型ごみ編

このスキー教室以後、私は結婚前まで毎年冬にはスキーに行っていました。
お嫁入り道具の中に勿論スキー道具も入れて持ってきました。
ところが、結婚してからというものは、夫の少ない給料ということもありますが、
「甘い、甘い。生活はそんなに甘いもんじゃない。」という夫の一言で、
スキーになど行くような生活ではなくて、一度も使うことはなく、
その内とうとうあきらめてスキー道具を大型ごみに出しました。
甘くない生活でも、無事に時は過ぎ、今年は結婚30周年です。


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