龍馬伝で賑わう寺田屋



NHKの大河ドラマ「龍馬伝」のおかげで、
京都のゆかりの場所が観光客で賑わっている。
ドラマの進行に合わせて、寺田屋跡へ行ってみた。
寺田屋騒動の舞台として、また、坂本龍馬が定宿にしていたことで、
京都市伏見区の旅館「寺田屋」が伏見観光の人気スポットとなっている。


先ずは、表で旅館の全体写真を撮ってから玄関へ行くと、
表札が掲げられていて、「寺田屋 坂本龍馬」となっていた。


中に入ると、旅館「寺田屋」には今でも泊まれるそうで、
素泊り6500円、朝食付7000円だそうだ。ただし、要予約。


が、旅館「寺田屋」には京都市から改善要請が出されたとか。
幕末当時の建物は1868年の「鳥羽伏見の戦い」で焼失したことが、
その後、資料を点検し調査した結果、確認されたということだ。
つまり、現在の寺田屋は幕末当時の建物ではないことが判明した訳だ。
その結果を受けて、京都市は展示に改善を要請したそうだが、
寺田屋側の見解では、それはあくまでも京都市側の見解で、
寺田屋側は京都新聞の記事を掲げることで対処したということか。


この柱の刀傷や弾痕を寺田屋騒動で残った実物として展示しているが、
建物が焼失したのなら疑問だ。が、焼け残った柱もあっただろうと考えると、
これが実物だと言えなくもない。真偽の程は???


真偽の程は疑問でも、実物だと思う方が楽しい。
これは、お龍が風呂に入っていた時に寺田屋を囲む捕り方の姿に気付き、
驚いたお龍が、部屋に居た龍馬に急を知らせに駆け上がった裏階段。


で、これがその時お龍が入っていたお風呂。
驚いたお龍は風呂から飛び出したままの姿で着物も付けずに
あの階段を駆け上がったとか。


これは龍馬が愛用した部屋で、捕り方の襲撃を受けた時もこの部屋に泊まっていた。
この時は負傷しながらも脱出に成功し、薩摩藩に保護されたと言われている。
中央の掛け軸は、寺田屋の女将お登勢が街の画家に描かせた龍馬遭難直前の絵で、
円山公園の銅像のモデルとなったそうだ。


寺田屋は大阪と京都を結ぶ三十石船の船着場を持つ大きな船宿だったそうだが、
三十石船で賑わっていた寺田屋の前を流れていたのがこの川。
現在では、酒蔵が並ぶ伏見の景色を眺めながら観光船が行き交い、
十石船に乗って船の旅を楽しめるようになっている。


左は、「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石碑。
龍馬は海援隊の本部があった材木商の酢屋に下宿していたが、
寺田屋事件後も幕府から狙われ土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていた。
近江屋があったこの場所で襲撃を受け中岡慎太郎と共に亡くなった。
ここは河原町通りにあり、毎日大勢の人が行き交っている賑やかな通りで、
この石碑に目を留め足を止める人は少ないのではないだろうか。

右は、「池田屋騒動之址」の石碑。
過激派尊皇攘夷の志士達が密会していた池田屋に新撰組が踏み込み、
激戦が繰り広げられた旅館の池田屋があった場所。
が、ここは現在では賑やかな(?)店になっている。


「池田屋騒動之址」の石碑の側に「池田屋の全貌!!」という派手な看板が!
いろいろ趣向を凝らしているようだが、あの「大階段」もあるようだ。
「新撰組と尊皇攘夷派が闘いを繰り広げた伝説の大階段を再現」とある。
あいにく、いえ、幸か不幸か、写真を撮ったこの日は店はお休みで、
話題性を求めて大階段の写真を撮るために店に入らなくて済んだ。


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