白川郷と高山



白川郷の合掌づくり家屋の集落は世界文化遺産に登録されている。
白川郷は岐阜県北部にあり、白山を源とする庄川の上流に位置する。
高台にある萩町城跡展望台からはその集落の全貌を眺めることができる。


暖かい秋の日が続いていたが、天気予報通りに前夜から急に寒くなり、
この日、遠くの山にも近くの山にもこの冬初めてという冠雪があった。
本当は写真などで見たことのある”雪の白川郷”を見たかったのだが、
雪の季節には京都から車で行くのが難しいのでこの季節での旅となった。
雪が積もった白い山を背景に雪深い白川郷を思い浮かべることができた。


合掌づくりとは、茅葺きの屋根が急勾配の山形をしていて、
掌(てのひら)を合わせたような形をしていることが語源。
大量の重い雪に耐えられるよう風土に適した建築構造のようだ。



この2枚の写真は、同じ3軒の家を撮ったものだが、
下の案山子の方は、太陽が出てきて日が当たっていることと、
少し角度が違っただけで、雰囲気が違って見えるだろうか。


集落の中の何軒かの家は公開されていて中を見学できる。
ところが、その家の住人は実際にその家で暮らしている訳で、
観光客が見物する昼間は奥の一部の部屋で過ごしているようだ。

これは、260年も続く旧家の長瀬家の家だが、
白川郷でも最大級の五階建ての合掌づくり家屋。


一階は主な生活の場で、二階は使用人の寝所など。
三階と四階は養蚕の作業場で、五階は薬草の干し場。
写真左は作業場の一部、右は山形になった屋根の一番上。

建築材の接合には金属の釘やかすがいは使われておらず、
木製のくさびやねそ(マンサク)などで接合されているとか。
ねそで締めた屋根の骨格は年月を経て強度を増すそうだ。

なお、この長瀬家の80年ぶりの屋根の葺き替えが平成13年に行われ、
500人以上もの村人やボランティアの人々がその作業に携わった。
NHKで放映されて見たことがあるのを思い出した。


ここの集落では、お寺の屋根も当然ながら?茅葺屋根の合掌づくりである。
明善寺の前にある鐘楼門の屋根も後ろの本殿の屋根も茅葺である。


「長い橋を渡るとそこは白川郷だった」
と、順番が逆になったが、橋のこちら側に駐車して、
歩いて長い橋を渡るとそこが白川郷の集落である。

順番が逆になったついでに、最後に高山の町の様子も少し入れよう。
順番的には、高山の町を散策して高山で泊まって翌日白川郷へ行った。


高山陣屋。
飛騨の統治をしていた頃の代官所の遺構で、
門番所付きの立派な重厚な表門は江戸時代の建築とか。


陣屋前朝市。
高山陣屋前の広場では毎日朝市が出されて、
地元の野菜や民芸品や手作りおやつなども並んでいる。


さんまち。
町の中心部を流れる宮川の東側に今も残っている古い街並み。
一之町、二之町、三之町の三つの町を総称して「さんまち」と呼ばれている。
この日は祝日で(文化の日)、国旗が掲げられた町家が軒を連ねていて、
各種雑多の店や土産物屋を覗きながら歩くのも懐かしくて楽しい。


おしまいにふさわしいかどうか分からないが、
高山陣屋の蔵の中の年貢米の米俵の展示だが、
「米俵の中身は籾殻です」には笑ってしまった。
蔵の中のたくさんの米を見て盗む人を予感しているのだろうか。



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