|
|
笑いましょう
|
|
|
《おことわり》
以下の笑い話は、Tomofumi Sekino さんのところに回って来た笑い話を掲示板に書き込んで下さったものです。
- 私の友達は仮免中に教官に「はい、この先の赤信号の交差点を右折して」といわれ、何の疑いも無く、信号が赤信号のままの交差点を右折した。
- 酔っ払って帰宅した夫は、そのまま居間に寝てしまった。 重くてとても寝床まで運べない。「這(は)って行ってよ」と何度も声をかけたが、そのたびに夫は 「ハッ!ハッ!ハッ!」と答えた。(5.18朝日新聞)
- 阪急電車の中、3歳位の男の子がおしっこをしたがっている様子。 子供「ママおしっこ」 ママ「どうしてもっと早く言わへんのっ!」 すると子供は何を考えたのか、早口で「ママッおしっこ」。(2月号Lマガ ジン)
- 大幅に遅れたバスにおじさんが乗り込みながら、「バスってえのは遅れた時は待たにゃならんが、客が遅れた時は1分だって待つってくれずに、ハイ、サヨナラだからな」と言った時、あとに続く乗客全員がうなずいた。(2.11朝日 新聞)
- 某工場内の「おれがやらなきゃだれがやる」という看板が、「だれが」の「が」の点が削られ、「おれがやらなきゃだれかやる」になっていた。この会社の将来は…。(10.27ぴあ:97秋第2位)
- 友人は入社試験の面接で、あまりに緊張してしまい、「家業は何ですか」との質問に「かきくけこ!」と答えてしまい、家に帰るまで、何で「カ行」を尋ねられたか分からなかったそうだ。(11.23俣ケ新聞)
- 一人息子がちゃんと留守番できているかどうか、公衆電話から他人のふりをして家に電話してみた。「もしもし、お母さんいる?」息子「いらない」。(3.17北海道新聞:96春第2位)
- 電話で書店に本を注文した時のこと。住所と氏名を聞かれたので、名前の「和英」 を和は「ヘイワのワ」、英を「エイゴのエイ」と答えた。後日送られてきた郵便物の宛て名は「和A様」となっていた。(95.6.11毎日新聞:95夏第2位)
- 「水戸黄門外伝・かげろう忍法帖」の最終回で、事件がすべて解決し故郷へ戻ることになった由美かおるたちは、喜びのあまり「ヤッホー」を連発していた。でもそれってもしかしてドイツ語じゃ…。(ちなみにあの「水戸黄門」には、格さんが「おいハチ、ファイト!」と言ってしまった前科があるらし い。)(95.10.3ぴあ:95秋第3位)
- 国語のテスト前に問題を出し合っていた中学生の長男と次男。長男の「擬音語にはどんなものがあるか」との問いに、次男は「そうどすえ」と答えていた。(9.21朝日新聞)
- 新鮮なお魚を「死にたてピチピチ」と言う私を、母はとても嫌がる。だって本当のことじゃないの。(9.29 ぴ あ)
- 理髪店で中学生が「少し長めにして下さい」と頼むと、ご主人が「耳はどうしますか」と聞き返した。中学生は少し考えていわく「切らないで下さい」。(10.5 週刊 読売)
- おはようからおやすみまで暮らしを見つめる = ストーカー。
- 父が入院することになって、病院に予約を入れて自宅で待機していたら、思わぬ早さで連絡が来て、「明日から入院して下さい」。突然のことで、心の準備が出来ていなかった父は、思わず「今、ちょっと体の具合が悪いので、少し延ばしてもらえませんか」と言ってしまった。(6.15週刊読売)
- 「JUNKO」というデザイナーのネーム入りトイレマットを敷いた日、夫は「J 」の文字を踏んでいたらしく、トイレをでるなり、「あのマットはなんだ」とのたもうた。(1.18朝日新聞)
- 結婚した教え子から年賀状が来た。「性が変わりました」と書いてあった。(2.8 朝日新聞)
戻る
目次へ