敦煌のヤルダン地質公園



見渡す限り右も左も砂地だらけの砂漠の中に1本の道が通っていて、
その道をバスはひたすら走って着いたところがヤルダン地質公園だ。


入り口の辺りにあったこの何とも奇妙な形の岩は、
これから始まる奇岩の風景を期待するに十分であった。


東西25km、南北2kmにわたって風化した奇岩が不思議な光景を繰り広げている。
古代のシルクロードでは敦煌から楼蘭へ行くにはこの辺りを通過したと考えられ、
この奇怪な景色を「悪魔が住む城」と恐れおののいたのか「魔鬼城」との異名がある。


これらの岩がどんな大きさか、岩の左側下の辺りに人影が小さく見える。


右側の岩には「獅子」と名前が付けられていた。


名前は「獅身人面」。 なるほど、「スフィンクス」だ。


名前は「孔雀」。 日本語でも同じですね。
後ろから見ると、ちゃんと長い尾を引いている。


同じ場所で撮った別の写真をパノラマにしてあるのでそちらも参照(こちら)
ただし、パノラマといっても、遠景で撮った1枚の写真を拡大したものである。


名前は「艦隊出海」。
船のような形の巨岩が並んでいるのがまるで艦隊のように見える。
これもパノラマ写真を参照に(こちら)。これは2枚を繋いだもの。


ヤルダン地質公園から敦煌市街地区へ戻る途中にある玉門関。
下で書く陽関と同じ古代の関所跡。
現在の玉門関は約25m四方で高さ約10mの城壁が残っている。


砂漠に生えている植物はラクダソウ。
トゲが一杯だが、ラクダはこのトゲをものともせず食べるそうだ。


陽関。
唐の詩に「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」と詠われた古代の関所跡。
現在では高台の上に烽火台(のろし台)が残っているだけ。


360度見渡せる視界ははるか遠くまで砂漠、砂漠、砂漠、だ。


そのはるか遠い所に何やら水らしきものが見えた。
写真を拡大して見ると確かに水とその周りには木も見える。
オアシスだ。砂漠の中のオアシスはそれこそ輝いて見える。

そういえば、そもそも、敦煌の街はオアシスの周りにできたオアシス都市だ。
「Mizuの部屋」も皆さんのオアシスとなれるよう「水」を枯らさないようにしなくっちゃ。


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