上高地を歩く


新幹線で名古屋まで行き、中央本線の「特急ワイドビューしなの」に乗り換えて松本へ。
松本からバスに乗り、上高地へ。 ホテルに荷物を預けて、昼食後に周辺の散策に出た。
天気は崩れる予報で、出かけた最初の日だけが晴れの予報だったので、急いだ。

3日目は新穂高ロープウェイで西穂高口山頂駅からの眺めを楽しむつもりだったのだが、
もし天気が悪く展望台からの景色が見られない場合は、もう1泊しようと考えていた。

が、結論から書くと、1日目と2日目は晴れで、3日目も曇りながら雨には降られず、
西穂高口山頂駅からの景色もバッチリ堪能できたので、最初の予定通りに帰ってきた。


上高地といえば、雪の穂高連峰を背景に梓川に架かる河童橋というのが定番で、
先ずは、その定番の写真から始めよう。 少し引いた写真も入れてみた。

上高地へは、何と50年前!学生の頃に友人達数人と訪ねたことがある。
その頃は写真といえば記念写真で、橋の上で撮ったであろうと推測できる。
実のところ憶えていないのだが、こんな風景写真を撮ったとは思えない。
「これがあの有名な河童橋。さぁ、記念写真を撮りましょう」と喜んで撮ったか?
今は、「これが昔見たあの河童橋。さぁ、ネタ話に撮りましょう」と喜んで撮った。


橋の欄干には「あずさがわ」「かっぱばし」と書かれている。
反対側には「梓川」「河童橋」と漢字で書かれている。


河童橋の上から見る穂高連峰・奥穂高の姿は神々しい。

上高地は、穂高連峰・焼岳・六百山・長塀山などの高山に囲まれた盆地で、
その中心を流れる梓川が焼岳の噴火でせき止められて形成された大正池や田代池、
明神岳からの崩落砂礫によってせき止められて出来た明神池などもある景勝地である。


原生林の中を行くと、突然、見通しのきく広場に出る。
田代池のある草原で、周囲は湿原になっている。

穂高連峰中央が奥穂高岳、左側が西穂高岳、右側が前穂高岳、右手前は明神岳。


雪の焼岳も美しくて絵になる。
驚いたのは、大正池にあの象徴的な立ち枯れの木がほとんどなかったことである。
焼岳の大噴火で噴出した多量の泥流により梓川がせき止められて出来た大正池に、
水没した林のたくさんの木が立ち枯れとなり、50年前には幻想的な景観だった。

聞けば、枯れ木は10年位前から倒れ始めて、5、6年前から顕著に減ってきたそうだ。


焼岳は標高2455mの活火山なので、
一部で噴煙を上げているのが見えた。


湖沼地帯には水生植物や湿原植物の群落が発達しているが、
緑色は清流の中に生えるイチョウバイカモだろうか?
黄色は何か分らなかったが、コケの一種だろうか?


河童橋から徒歩20分の所にある英国人のウィルター・ウェストン碑。
明治時代に北アルプスに魅了され、存在を世界に広めた功労者である。
「楽しみとしての登山」を日本に浸透させた栄誉を称えての碑だとか。


カラマツ林を抜けて歩いたが、気持ちの良い散策路である。


気持ちの良い散策路はサル達にも気持ちが良いのか、
たくさんの野生のサル達も団体で散策していた。
目が合わないようにしたのに、カメラと目が合ってる。


「お母ちゃん、僕もほしいよ〜。僕にもちょうだい。」
「う〜ん、この木の葉は、うまいなぁ。 恍惚〜。」


前からサルを狙っている人を狙って撮っている私が
後ろから狙われていたとは…。

と、苦笑してこれで終わろうと思ったが、
お口直し、ではなく、お目直しで、もう1枚。


泊まったホテル、「上高地帝国ホテル」です。
木立に囲まれ、穂高連峰を背に、赤い屋根が映えています。

50年前は、リュックを背負い、ユースホステルを泊まり歩いていて、
帝国ホテルなんて、近づくこともできない想像できない贅沢だったが、
この歳になって初めて、憧れのホテルの中に足を踏み入れた。


徳沢のニリンソウ大群落へ続く

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