「草枕」の小天温泉


夏目漱石の小説「草枕」は、小天(おあま)温泉への旅をモデルに、
熊本の前田家が来客をもてなすために建てた別邸が舞台となっている。
明治30年、当時第五高等学校教授だった漱石がこの別邸を訪れ、
滞在した数日間の出来事を元に小説「草枕」を発表したそうだ。

小説では、この別邸は「那古井の宿」、前田家は「志保田家」として登場、
小天は「那古井(なこい)」という架空の地名で書かれている。


「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」 「草枕」の冒頭の一節だ。

漱石がこう書いた山路へは、実は、我々は行かなかったので、残念ながら写真がない。
有名な「おい、と声を掛けたが返事がない」の舞台となった茶屋がある山路だ。

ここは、下で書く前田家別邸へと続く山道の途中で、「草枕」で書かれた山路ではない。
漱石が前田家別邸に泊まって散策をした道なので「草枕道」なる道標が立っているが、
漱石はこのように山道を登りながらこう考えたのかと私も考えながら道を登った。


漱石が滞在した離れや、半地下に造られた浴場が残っていて、
修復工事で保存され、前田家別邸として一般公開されている。


本館跡。 建設当時ここには三階建ての本館があったようだ。


男湯と女湯がある浴場。「那美」が裸で湯壺へ下りてくる場面の浴場。

半地下の湯壺は、ポンプのない時代にお湯を流下させるための構造。
男湯と女湯は分かれているが、湯口は女湯には無く男湯のみにあり、
そのために、後片付けを終えたツナ(前田家の次女。那美のモデル)が
女湯がぬるかったので誰も居ないと思って湯温が高い男湯に入ったら、
漱石が居たのであわてて飛び出したという実話から生まれた場面だとか。


漱石が宿泊した離れの6畳間。


別邸全体から見れば裏庭になるが、離れ前の庭。
その庭にある漱石の句。

「かんてらや師走の宿に寝つかれず」

結婚してまだ2回目の正月に訪れた小天温泉で、
一人残してきた鏡子夫人への気遣いを詠んだのか。


離れの庭の端にある北口だが、全体の様子が分かるだろうか。


前田家別邸の管理と案内を兼ねた「草枕交流館」。
「草枕」の歴史資料館と「草枕」の観光案内施設。

資料や展示パネル等で「草枕」の背景や前田家の歴史を紹介。
中江兆民、岸田俊子や孫文とのかかわりなどの話も聞いた。
「草枕」と小天や前田家とのかかわりを紹介するビデオも見た。


小説の中で書かれた「那古井」の地の「那古井館」へ泊まった。
この旅館も、明治創業以来の歴史と趣きを持つ温泉旅館で、
女将さんが、漱石と前田家の関係など詳しく話して下さった。


「草枕」の冒頭の一節が暖簾にも書かれている。


若かりし日の漱石の写真が那古井館の玄関に飾られているはずが、
泊まった時はリニューアル工事中で、大広間に無造作に置かれていた。


「小天温泉・那古井館前」というバス停でバスを降りたのに、
どこにも看板が見当たらず、不思議に思っていたところ、
翌日その那古井館を出て帰る時に、その意味が分かった。

旅館はリニューアル工事中だったと上で書いたが、そう、
看板も新しく作り直したのか、バス通りのバス停近くと、
旅館の前に、この日は確かに「那古井館」の看板があった。

「おあま温泉」の「なこい館」、最初はなかなか読めず、
夏目漱石ゆかりの地と聞いても、馴染みがなかったのに、
夏目漱石の小説「草枕」の舞台となった那古井の里として、
こうしてページに書くと、もうすっかりお馴染みさんだ。


と終わるところですが、ミカン畑の向こうに広がる有明海。
有明海を眺める丘陵のミカン畑に包まれた温泉ということで、
夏目漱石の「草枕」の舞台となった温泉地の写真で終わりましょう。


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