寂光院と三千院



聖徳太子が、父である用明天皇の菩提を弔うために創建された寂光院。
後には、安徳天皇の母である建礼門院が、壇ノ浦で滅亡した平家一門と
安徳天皇の菩提を弔いながら、ここで終生を過ごしたことで知られている。

平成12年(2000年)の放火による火事で本堂が焼けた時は、
ニュースで見て驚いたものだが、あれから13年が経ったのか。

本尊は黒焦げになって運び出されたが(当時の写真が展示されている)、
像内にあった3,000体以上の地蔵菩薩の小像などの納入品は無事で、
本尊は損傷したため、その後復元された本尊が本堂に安置されている。


本堂前西側の庭園にある御神木の「千年姫小松」。
樹齢1000年のこの名木は火事では焼け残ったが、
炎を受けて痛みが激しくなり、4年後に枯死したそうだ。


枯死した木は痛々しいが、道の両側で迎えてくれる木は頼もしい姿だ。


庭に入る門の屋根はどっしりと苔むして、別の植物が根付いていた。


さて、寂光院から最後は三千院へと歩いた。
どの季節にいつ行っても観光客で一杯の場所だが、
紅葉には少し早かったこの日も結構な人出だった。


杉の木立とスギゴケを中心とした美しい景観の中に佇む往生極楽院。
阿弥陀三尊像が安置されている。


スギゴケが多いようだが、違う種類のコケが美しいコントラストだ。


「草木供養塔」の所にもコケがふわっと厚く覆っていた。


鎌倉時代の阿弥陀如来像の石仏。京都市で最古の石仏とか。
高さ225cmもあるそうで大きな石仏だが、美しい。


苔むした木の根もおもしろい造形で、想像をかきたてられる。


締めは、歌いながら終わりましょう。

♪きょうと〜おおはらさんぜんいん〜こいにつかれた〜おんながひとり〜♪
(京都 大原 三千院 恋に疲れた 女が一人)


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