マドリッドで首絞め強盗に襲われる


はじめに
今回の旅行は、夫がスペインのマドリッドで仕事をし、列車でグラナダへ行き、
グラナダでも仕事を一つ片付け、再びマドリッドへ戻り、
マドリッド経由でポルトガルのリスボンへ飛ぶ、という予定でした。
リスボンでも、仕事のために数日間滞在しました。

今回は、我が身にふりかかった事件の詳細を報告することにしたいと思います。
旅行記というのは、何月何日何時にどこを出てどこへ着いて何をした・・、
と詳細に書かれているのが多い中で、これまで私は話題性のあることだけに終始し、
できるだけ簡潔に書くことを心掛けてきました。
が、今回だけは、どんなに大変だったかを分かっていただきたく、
関心のある人には詳細に書くことによってそれが伝わるのではないかと、
順を追って、詳細に書いてみたいと思います。

2006/5/5(金) 日本出発してマドリッド到着
三田を出て関西空港よりアムステルダム(オランダ)を経由してマドリッドへ。
行く先々で何があるか楽しみにしながらのいつもながらの穏やかな出発であった。
飛行機がマドリッド空港へまさに到着しようとして滑走路がすぐ下に見えた時、
危ういところで突然、飛行機は機首を上げて上へ上へと上がっていった。
降りようとした滑走路に前に飛行機が居たために着陸を止めたらしい。
上空を旋回して、もう一度着陸を試し無事に着陸した。
後から思えば、あれがその後に起こる災難の予告であったのか。
マドリッドの空港からホテルへはタクシーで行ったが、ぼられることもなかった。

5/6(土) 首絞め強盗に襲われる
夫の仕事の合間にプラド美術館へ行き、ゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」を見る。
後日、2つの絵を並べてホームページに載せようと写真を撮る。
その後、地下鉄に乗り、スペイン広場→王宮→マヨール広場と歩く。
映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンがアイスクリームを食べていた
ローマのあのスペイン広場へも以前に行ったことがあるので、
これも並べて載せるべく、本家本元のスペイン広場の写真を撮る。

夜にフラメンコを見に行こうと、その近辺でフラメンコレストランを探して歩く。
地図を見て、こちらからも行けるはずだと行った道は賑やかな通りから外れた。
しかし、真昼間で明るくて、大丈夫だろうと危険性は感じなかった。
明るい道だったので、人通りのない道は危険だということを忘れていた。
スペインでは長い昼寝の時間に入っていて、確かに人通りは少なかった。
もう少しで賑やかな通りに出ると思った午後3時頃、首絞め強盗に襲われた。

突然後ろから腕で首を絞められ、手をばたつかせたところまでは覚えているが、
何が起こったのか理解できないまま真っ暗になって気を失った。
たくさんの人が通っている中で自分は道路に寝転がっていて、
なんでこんな所で寝ているのか恥ずかしいと思ったのは夢の中で、
立ち上がったところで意識が戻ったのだと思う。
向うから夫が駆け寄ってきて、「やられた!」と言った。
そこで初めて自分の身に何が起こったのかを知った。
背中に負っていたリュックがなくなっていた。
夫が背中に負っていたナップザックもなくなり、
ズボンのポケットが激しく引きちぎられて破れていた。
夫は、ポケットの中の財布、手帳、鍵などすべてを奪われた。
ナップザックの中には両替するのに必要なパスポートを入れていた。
空港やホテルで両替するとレートが悪いのでいつも街中で両替していた。
大事な小袋の中にはパスポートの他に航空券や列車の切符なども入っていた。
私のリュックの中にはパスポート、航空券、デジカメ、財布、鍵などすべて入っていた。
夫は意識があり、ポケットが引きちぎられるのを知っていたそうだ。
犯人が逃げて行くのも見たそうで、3人組の若者だったそうだ。
夫と二人で同時に襲われて、1人は見張り役だったのだろうか。
夫は、犯人が逃げた方向へ追いかけたが見失い、
その途中で、私が意識を失い道路に倒れていた後、意識が戻り、
ちょうど立ち上がったところへ夫が来たということになる。
まだボーっとした頭で、夫と二人で賑やかなマヨール通りまで出て、
通行中の女性の携帯で警官を呼んでもらう。
5分程度でパトカーが到着した。
警官2人は現場を特に調べることもなく、
我々をパトカーに乗せて警察署へ連れて行った。

警察署にて
警察署では被害届の作成がすべてであった。
英語を話せる者が居ないので電話で英語を話す調査官へ報告。
その後で日本語(通訳)に代わり、被害の内容を報告。
その間ずっと立ったままで電話で話をさせられた。
電話の効率が悪く、ひどく時間がかかった。
待合室には、置き引きやスリなど同様の被害者が10人程度はいつも調査待ちの状態。

犯人には価値が無いが我々には必要な鍵などが捨てられていないかと期待して、
必死の身振り手振りで説明して、夫はパトカーで現場へ戻り、探す。
二人が一緒に出てはいけないと言われ、私は警察署へ残り夫の帰りを待つ。
夫は、夫が持っていた日本語のガイドブックが落ちていたのを発見。
警官も付近を探してくれたが、他には何も発見できず。
期待はしていなかったが、帰ってきた夫がガイドブックを持っていただけで、
見つかったのはそれだけかとやはりがっかりした。
が、後でこの日本語のガイドブックが大変役立った。
カード会社の24時間対応の電話番号や大使館の場所を探したり、
大使館や航空会社へ行くため地下鉄の路線を見たりするのに助かった。
パスポート番号やいろいろな電話番号などを書いていた手帳を取られたので、
何も記録が無くなり、お手上げだった。

何時間もかかって、被害届のレポートがやっと出来上がり、
ホテルへ帰るにもお金が無いので、パトカーで送ってもらう。
初めてパトカーに乗ったが、パトカーの構造を初めて知った。
なんと、パトカーの後部座席からは窓もドアも開かない構造になっていた。
運転席との間も厳重な防弾ガラス?で仕切られていた。

ホテルへ帰って
インターネットで調べてホテルからカード会社へ緊急連絡し、カードを停止。
緊急カード発行について聞くが、2営業日(月、火)必要ということで、
パスポートの再発行がいつ出来るか分からないということと、
また、リスボンへ行く航空券の再発行がどうなるか分からず、
その時期の居場所が確定できないため、保留。
もう1つのカード会社へも連絡するが、こちらは電話が繋がらない。

土曜日でしかも夜なので、日本大使館の緊急連絡センターへ電話して、
パスポートの再発行のために必要な書類のことを聞く。

8時半頃、警官が拾得物があったということで、
夫のパスポートと航空券などが入った小袋をホテルまで持ってきてくれた。
夫のパスポートと航空券が戻ってきたことでずい分助かった。
犯人がお金などを取った後、いらない物を捨てたのだろう。
小袋(ビニール)の外側からはパスポートが見えるので、
拾った人が届けてくれたのだろう。感謝。

夜9時頃ホテルで夕食。食欲は無い。
ホテルに残していたお金は約6万円。これがこれからの全財産だ。
パスポート再発行や航空券再発行の作業のためホテルに2泊の延長を申し込むが、
この時点では満室とのことで断られる。
別のホテルを探さなければならない。
航空券の手配をしてもらった日本の旅行社へもメールして事件を知らせる。

夜の12時(日本時間朝の7時)に日本の息子へ電話して状況を説明し、
カードを停止したので電話代がないから、息子の方からかけ直してもらう。
パスポートの再発行に必要な戸籍抄本の取り寄せを頼み、
連絡がつかなかったカード会社への連絡を頼んでカードの停止をしてもらう。
戸籍抄本は、月曜日になってから息子が取りに行ってくれ、
マドリッドの日本大使館へファックスしてくれた。
また、オリジナルを日本大使館へ郵送で送ってくれた。

5/7(日) 今度は引ったくり。だが未遂
予定していたグラナダ行きを中止。
朝、ホテルに滞在の延長ができないかもう一度尋ねると(昨夜とは別の人)、
今度は空いているということで、2泊の延長を申し出る。
イベリア航空へ私のマドリッド→リスボンの航空券について電話。
市内のオフィスの住所などを聞く。月曜でないとオフィスは開かない。

アトーチャ駅でパスポート用の写真を撮る。
一度ホテルへ帰り、お昼頃再び外へ出て、プラド美術館前のベンチで昼食。
ホテルの朝食の時に余分に取っておいたパンと果物で済ます。
その後地下鉄で、イベリア航空のオフィスと日本大使館の場所を確認のため行く。

地下鉄乗り換えのグランビア駅で危うくひったくりに合いそうになる。
こちらを伺っている様子が見てとれたし、我々が場所を移動すると付いて来る。
何も荷物を持っていない2人組で、怪しいからと夫に告げて注意する。
何人か人の居る側に立つがしつこく付いて来る。

地下鉄が入ってきたので、急いで場所を変えて乗る。
こちらを見てニヤニヤと笑い、なにやら捨て台詞を言っていた。
地下鉄のドアの方まで付いて来たにもかかわらず彼等は乗らなかったので、
明らかにあれは怪しかった。今度は難を逃れた。やれやれ。
イベリア航空と日本大使館の場所を確認後ホテルへ戻る。

ホテルからインターネットできたのは、チェックインの時に登録したカード番号を
逆にホテルから教えてもらい、その番号でログインできたから。
カードを停止したことでインターネットできなくなり、日本の息子へ電話して
息子のカード番号を教えてもらい、息子のカードでインターネットに繋げられた。
この日から行く予定になっていたグラナダでの仕事関係の人へ
行けなくなった旨のメールを出して謝る。
日本の旅行社へもメールする。

最初の2泊分のホテルの支払いはすでに日本で済んでいたが、
延長分の支払いを息子のカードで支払いたいとホテルと交渉する。
了解が得られたので、息子のカードのコピーと署名などを
ホテルへファックスしてくれるように息子へ頼む。
届いた息子の文書を保存のためにコピーしてもらって見ると、
父親に代わって自分のカードから支払うことを了承する云々という
その英語での書き方が大変立派で、英語に達者な夫も感心していた。

夕食は外へ出て、近くの広場のレストランで済ます。

5/8(月) 日本大使館に出向く
朝8時過ぎにホテルを出て、ラッシュの地下鉄に乗り、大使館へ向かう。
9時半開館だが早く着いて9時頃には着いた。開館まで中へは入れず外で待つ。
高い塀の上は電気の線が張られていて、尖った鉄の防犯柵が厳重にしてあった。
大使館へ入る車はすべて鏡で車の底を調べられていた。
セキュリティは厳しく、我々が入る時も身体と荷物をチェックされて、
胸に付ける日の丸マークの札をもらった。

大使館領事部で状況を報告し、私のパスポートの再発行と当座の現金の借用を依頼。
借用の条件は厳しく、しかも最大5万円まで。
旧パスポートの停止と再発行の手続き後イベリア航空へ行くが、
チケットがKLM発行のため取り扱えないと言われる。
領事部の人に電話して空港のKLMオフィスと話さなければならないとのことで、
再びセキュリティを通って大使館領事部へ戻る。
KLMへ連絡してもらった結果、夕方5時半に再び連絡することになった。

その後、駅で撮った写真が小さすぎると言われて、近くの写真屋へ写真を撮りに行く。
ホテルに残していて助かった全財産6万円の内2万円はホテルで換金して、
食事代や化粧品代や眼鏡の代わりの虫眼鏡代や地下鉄代などに使っていて、
残りの4万円を領事部で教えてもらった銀行でユーロに換金する。
ホテルで換金したレートよりもずっと良かった。
これでパスポート代を払わなければならない。

三度セキュリティを通って領事部へ写真を届けた後、昼休みとなり、
外へ出て、近くの工科大学(自然科学博物館)の周辺で食事。
ホテルの朝食の時余分に取っておいたパンと果物で済ます。
午後4時頃、4回目セキュリティを通って領事部へ。
私のパスポートの再発行を受ける。

領事部の人がカードによる緊急キャッシングのための電話をスペイン語で手伝ってくれたが、
火曜日(翌日)の出発に間に合うようにするには難しいことが判明。
日本のカード会社は日本の朝にならないと作業をしないのだ。
その結果、あらゆる手を尽くしても現金が手に入らないということで、
領事部から300ユーロ(4万3000円位)を借用できることになり、現金を受領。
航空券は、最終的には翌日にならないと再発行できるかどうか分からないという状態。
航空券の再発行がうまくいかない場合は、新たに切符を買わなければならず、
その場合は300ユーロかかるということで、借りた300ユーロを使うとぎりぎりだ。
夕食は外で、昨夜と同じ広場の別のレストランで。

5/9(火) マドリッド脱出
朝ホテルを出発。9時頃空港着。KLMのチケットオフィスへ行くが再び要領を得ない。
日本の旅行社からのチケットのコピーをファックスする必要があるというので、
空港から日本の旅行社へコレクトコール。ファックスを依頼。
戻ってみると、昨夜日本の旅行社へメールを出しておいたのを受けて、
すでに日本KLMからの連絡をマドリッドのKLMへ依頼してあった。
そのファックスが見つかっていて、再発行をやってくれた。
その間に先程依頼したファックスも届いた(二重に届いた訳)。
日本の旅行社からコピーをファックスするように昨日の内に言ったから、
届いているはずだからコンピュータをチェックしてくれと何度も言ったのに、
何も来ていないから、どうしようもないとの一点張りで、頑固な係員だ。
係りの人が慣れない人で、届いているファックスを見つけられなかった訳。
再発行料80ユーロ(1万2000円位)を支払う。

関空→マドリッドとリスボン→関空の航空券はEチケット(電子航空券)だったので、
こういう問題が起こっても簡単に対処できたのだろうが、
グラナダ→マドリッドの飛行機はスペインの国内便で(イベリア航空)、
マドリッド→リスボンもイベリア航空で、イベリア航空のオフィスが日本に無いため、
KLM経由でチケットを買った・・という複雑な購入過程があって、
こういう問題が起こると、チケットの再発行には膨大なエネルギーが要る。

ターミナル1からターミナル4へバスで移動。
イベリア航空のチェックインを経て、ようやくマドリッドから出発。
その前に、お世話になった大使館の人に空港から電話して報告とお礼を言う。
航空券の再発行がうまくいかない場合は電話してくれればまた助けるからと、
親切に言って下さっていたので、「安心しました」と言われた。

リスボン到着
リスボンへ到着後、タクシーでホテルへ。
後から聞くと、通常8ユーロ以下のところを14ユーロとふっかけられる。
短距離なのにそんなに高いはずはないと10ユーロを払う。
リスボンでは夫の仕事関係の仲間の日本人が数人居て、聞くと、
ある人は18ユーロ払ったそうだ。
一番少ない人は、7ユーロと言われたのを荷物もありチップも含めて10ユーロ払ったとか。
ちなみに、帰国する時、ホテルから空港へ逆方向で乗ったタクシーは、
5時にホテルへ迎えに来てもらった早朝運賃であるにもかかわらず、
チップを含めても7ユーロだった。

マドリッドを出発する朝、マドリッドのホテルにカード会社から電話があり、
緊急キャッシングの手配中で、マドリッド空港で受け取り可能という話だったが、
その時点ではコントロール番号が決まっていないというので、
空港から連絡する時間が無く、そのままにした。
リスボンに着いてからホテルからもう一度連絡したところ、
リスボンで受け取れるということなので依頼する。
夕刻、近くの銀行で換金できるとの連絡あり。
コントロール番号をもらう。

5/10(水) リスボンで緊急キャッシングを受ける
この日から夫は仕事。午前中、近くの駅の下にある銀行に
カード会社の緊急キャッシングを受けるために出かける。
銀行はまだ開いてなかった(12時から開く)。
連絡してもらった情報では10時から開くということだったのに違った。
提携している銀行が近くの郵便局とも契約していると聞き、郵便局へ行く。
そこで換金できた。300アメリカドル(3万4000円位)をユーロでもらう。
昼食時に知り合いの日本人から日本へ帰ってから必要なお金の1万円を借りた。

さて、最後の難関がマンションの部屋へどうやって入るかということ。
三田の夫の仕事関係の人へメールして、我々のマンションの鍵を開けてもらえる人の手配を依頼。
不動産屋、管理組合、家主さんの所にスペアキーがないかも問い合わせてもらう。

5/11(木)
上記三田の知人からメールの返事があり、スペアキーは結局どこにも無いとのこと。
我々のマンションは、分譲マンションを家主さんの転勤で賃貸に出したのを、
5年間の期限付きで三田で住む我々が借りているものだが、
家主さんにも鍵を取り替えることの了解を取ってもらったそうで、
帰国の日に鍵屋に来てもらい、合鍵を作るか、鍵全体を取り替えるかの方法をとることにした。
これらの段取りを三田の知人がすべてやって下さって、大変助かった。

5/12(金)
ポルトガルは、ポルトとリスボンへ5年前にも一度来たことがあり、
その時は夫の仕事中は一人でバスに乗って街へ出かけたりして無事に過ごし、
スペインほど治安が悪くはないと思えるが、
今回は、夫の仕事中はホテルでこの報告レポートを書いて過ごした。
知り合いの日本人の奥さんと一緒に出かけることにすら不安があって、
首を絞められた恐怖心が抜けず、デジカメもなくなったし、ホテルでおとなしく過ごす。
が、リスボンでは、食事時には知り合いの日本人と日本語でしゃべれて、
笑顔も出るようになり、ずい分と癒された。

5/13(土)リスボン出発 帰国の途につく
出発便の飛行機の中では映画を見て過ごしたが、帰国便ではひたすら寝て過ごした。

5/14(日)帰国
知人が頼んでいて下さった鍵屋さんに来てもらったところ、針金でちょこちょことやったら、
なんと開いた! それでも出張料と技術料とかで6000円を取られた。
開いたことは嬉しいが、今度は空き巣に入られることが心配になった。
京都の家はセコムなど厳重にセキュリティを施しているのだが。

部屋の中にはスペアキーを残していたので、それをコピーした。
もっとも、退去する時には新しい鍵に付け替える費用を取られるそうだ。

最後に
これまで、これだけいろいろな国のいろいろな街へ出かけてきたが、
こんな目に合ったのは初めてである。
危険だと言われている国や街でもこれまで無事にやってきたので、
油断があったことは反省点である。
これまでは大体パスポートや航空券や鍵などはホテルに残していたが、
ホテルの金庫が壊れていて、ホテルの部屋に残すことにも不安があって、
換金に必要なパスポートなどを持ち歩いたことも反省点である。
パスポートのコピーも持ち合わせていたのに、本物を持って出た。

事件後の対処については、夫の英語と冷静な行動力で、
これだけのことを2日間で処理して、予定通りにリスボンへ着けた。
万が一、夫が怪我をして入院なんてことになっていたら、
これだけの事を私一人ではパニックになってとても対処できなかっただろう。
もちろん、私が怪我をしていてもマドリッドを予定通りに出られなかっただろう。
無事だったことが何よりである。

これまでスリや置き引きには用心していたが、暴力でこられるとどうしようもない。
帰国後、夫が職場で今回の事件を話したところ、同じ被害にあった人が居られた。
やはりマドリッドで、男性2人で歩いていて5、6人組の首絞め強盗に襲われたそうだ。
通りすがりのスペイン人の女性も一緒に計3人が襲われたというから驚く。
それも、その人達の場合は人通りのある所だったそうだが、
誰も関わりたくはないからか助けてもらえなかったとか。

スペインは怖い所だとの印象を持ったのは仕方のないことだが、
優しそうな感じのする弱々しい背の低い日本人の老夫婦が、
団体ではなく個人で歩いていると襲いたくなるわな。(^^;)



では次は、リスボンでの一日



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