マチュピチュを歩く


朝6時にモーニングコール。
雨季だということを忘れていた程に、これまでは雨に降られなかった。
が、ここまで来て、さすがに明け方から屋根を打つ雨の音で目が覚めた。
通常のツアーではマチュピチュ散策は数時間というのが普通だそうだが、
我々のツアーはゆっくり1日をかけて回るようになっているので余裕があり、
添乗員さんとガイドさんが相談して出発時間を遅らせるようにして下さった。

乗り合いバスに乗りマチュピチュ(2400m)へ。しばらく坂道を登るので準備体操をした。
そして、歩き始めた頃には雨もほとんど止んできて、時々降っても小雨程度になった。

今年は、1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムによって
マチュピチュ遺跡が発見されてから丁度100年になる記念の年だ。
そこで、記念のバッジと証明書が配られた。


くねくねした山道を登って行くと目の前に突然石造りの都市が現れるはずが、
マチュピチュの遺跡群が見える展望台へ着いた時には、霧で真っ白だった。
今日の霧は長引きそうだとの添乗員さんの判断で、ガイドさんに頼んで、
霧が晴れるのを待つ間に、希望者はインカ橋の方へ案内してもらった。
我々は夫婦で2人居るので、夫はインカ橋の方へ行き、私は残って、
その間にも霧が晴れて見えるかもしれない写真を撮るチャンスを待った。


夫達が歩いていった所は、断崖絶壁の連続だったようで、これが、そのインカ橋。
上の写真で左下部分に見えるこんな断崖絶壁の岩に丸太橋を架けたとは信じられない。
ハイラム・ビンガム氏は、このインカ道を探検していた時にマチュピチュの遺跡を見つけたとか。


根気良く待っていると、少しずつ霧が晴れて明るくなってきた!
晴れの時の写真のような訳にはいかないが、負け惜しみでなく、
正面に見えるワイナピチュ(2690m)にはこの位の雲がかかっている方が良い。


マチュピチュ遺跡の石造りの町全体の様子を見てから、町の中へ入って行った。


マチュピチュ遺跡の市街地への入り口の門。


マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って100km以上離れた奥深いジャングルの中にある。
断崖と尖った山々に囲まれ、はるか下を流れるウルバンバ川流域は密林に覆われたジャングルで、
麓からその姿を見ることはできない。 空中からしかその存在を確認することはできない。
「空中都市」とか「天空都市」と言われる所以だろうか。 「失われた都市」とも言われる。


斜面には段々畑が造られ、ジャガイモやトウモロコシやコカの葉などが栽培されていたそうだ。
見渡す限りの段々畑で大勢の人が農作業していた姿を想像するとどんなに圧巻だったことか。


天に近い場所ということで、こんな高い場所に町を作ったのだろうか?
かつてはインカ人が暮し、畑を耕していたことを想像するのが難しいほど
今では廃城となってしまったマチュピチュの遺跡。


石切り場。


それにしても、どのようにしてこんな高い場所へ巨石を運んできたのか?
王女の宮殿や太陽の神殿やコンドルの神殿などの立派な建物を造り、
貴族の居住区、技術者の居住区、庶民の居住区などの家を建て、
段々畑を造り、作った作物を乾燥して貯蔵する貯蔵庫まで造り、
どうやってすべてを石造りでこんな町を作ることができたのか?


インティワタナ(日時計)。
上に突き出た角柱は高さが36cmあり、角柱の各角は東西南北を指している。
ガイドさんの説明で、みんな手をかざして石のパワーを感じ取った。


聖なる岩。
かなり大きなこんな大岩をどんな風にして動かしたのだろうか?
写真では背景が見えていないが、この岩は背景の山の形を模していて、
右側はピューマの頭のようで、左側の頭は魚のような形をしている。


ワイナピチュへの登山口。
夫は最初、自由時間にこの山へ登ろうと言っていた。
ところが、一日に入山できる人数が制限されていて、
申し込みをするためには早朝から並ばなければならないということと、
離団届けを出しツアーとは関係ない個人の責任で登らなければならない、
などということよりも、この山を近くで見ると、すぐにあきらめがついた。
マチュピチュとの標高差はわずか250mだが、山は断崖絶壁で道は急勾配で、
毎年山から人が落下する事故が起っているそうだ。 我々にはとても無理だ。


技術者の居住区にある天体観測の石。
ハイラム・ビンガム氏がマチュピチュを発見した時に連れていたガイドの少年が、
これを石臼として利用したことから、今でも「石臼」と言われているそうだが、
水を張って水に映る太陽や月や星の軌道を観測したのではないかとされている。


コンドルの神殿。
下へ下りて正面から見ると、コンドルが羽を広げているように見える。


太陽の神殿。
石積みでこんな美しい曲線を造ったインカ人の技術は素晴らしい。
2つある窓の1つからは冬至に、もう1つの窓からは夏至に、
太陽の光が入る設計になっている、というのも感動ものだ。


太陽の神殿の下には巨大な岩石に斜め半分を遮られた三角形の石室がある。
ここは陵墓と呼ばれて、ミイラが安置されていたと言われているそうだ。


今回は初めて、個人旅行ではなく団体ツアーに入って行ったが、
13人のツアー仲間の人達がみんな穏やかな良い人ばかりだったことと、
何よりも添乗員の人がベテランで良い人に当たったのも幸運だったようだ。
現地ではそれぞれの地で日本語を話すガイドさんが車で出迎えて下さって、
添乗員さんとガイドさんの2人で我々13人の世話をして下さったので、
心配りも行き届いていて、個人旅行に慣れていた身には楽で良かった。

個人旅行では、治安の悪い国では常に周囲に気を配り気が休まらないが、
団体ツアーでは、いつも団体で行動するので、狙われることもない。
必要以上に治安の悪さを気にしなくて済むから、思う存分楽しめる。
団体行動しなければいけないから自由度がないことが難点だが…。

南米は遠い上に、時差、高度差(最高4000m)、気温差(0度〜32度)と、
厳しい11日間だったが、全員が元気で旅を終えられたことが何よりも嬉しい。


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