日本最北端の稚内観光


関西空港8時5分発の飛行機でひとっ飛び、10時15分には北海道の稚内へ着いた。
今回の礼文・利尻行きはツアーに入って行ったのだが、関西空港での集合はなかった。
稚内到着時には添乗員が出迎えてくれたが我々夫婦と友人の3人の他に客は居なかった。
出迎えの大型バスに乗ったのは我々3人だけで、ガイドさんの案内で観光して周った。

後で分かったことだが、全国募集のツアーということで、関空からは我々3人だけで、
次に名古屋方面からの客が到着し、最後に東京方面からの客が到着して、合計18人。
先に着いて観光して周っている我々はその度に観光を中断しては空港へ迎えに行った。

名古屋方面と東京方面の人達は帰りに稚内の観光をすることになる訳である。


バスで周っていて目に付いたのは、この道路標識。
日本語と英語読みともう1つロシア語で書かれている。
日本で最もロシアに近く、ロシアとの交流が深いので、
道路標識もロシア語で表記されているようだ。


稚内港にあるこれは珍しいドーム状の形をした大型の「北防波堤ドーム」。
礼文島や利尻島への航路などたくさんの船が発着する稚内港を守っている。
思わず、東日本大震災のような大津波が来ても大丈夫だろうかと思った。


山の上にある稚内公園には稚内のシンボル的な存在である色々な碑がある。
全部は載せ切れないのでその中のいくつかを入れてみるが、これは「氷雪の門」。
樺太(サハリン)で亡くなった日本人のための慰霊碑で、高さ8mの門の先には、
天気の良い日にはサハリンの島影が浮かび上がるそうだがこの日は見えなかった。


これは、「九人の乙女の碑」。
樺太で起きた真岡郵便電信局事件(北のひめゆり事件)という事件で、
1945年、旧ソ連軍が侵攻してきた時に、9人の女性電話交換手が
「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」と言って自殺したとか。


「南極観測樺太犬訓練記念碑」。
南極観測隊が連れて行った樺太犬の訓練をしたのがこの稚内公園の場所だったそうだ。
南極に取り残されたのに共に生き残り1年後に救出されたタロとジロには感動したが、
南極観測で死んだ樺太犬のための慰霊碑も近くの犬ぞり訓練所跡地に建立されている。


緑の上にいろいろな色を散りばめたように小さな可愛い花々が咲いていた。
ピンク色の花はアルメリア(ハマカンザシ)。大きくしてみると形が豪華だ。

この後、名古屋方面から到着する人達を迎えに空港へ行った。
その人達も加わり大型バスには10名ほどで今度は宗谷岬へ向かった。


宗谷岬の突端に建つ「日本最北端の地の碑」。
宗谷岬の先端、北緯45度31分22秒の“日本最北端の地”を標す記念碑。
対岸のサハリンまでわずか43km。晴れた日には島影が見えるとか。
この日は一日中曇りだったが、その後は晴れて3日間雨には降られず。


宗谷から樺太(現サハリン)へ渡り、間宮海峡を発見、
樺太が島であることを幕府に伝えた間宮林蔵の銅像。
その後蝦夷地を測量して伊能忠敬の日本地図の完成に貢献した。


日本最北端といえば、そうです、お土産屋さんの外にありました!
「宗谷岬」「最北端」「気温6.0度」「北緯45度31分14秒」
「平成24年6月10日」、確かにこの日に行った証拠にもなる。


そうです、「最北の宿」もありました。


「日本で一番北の食べ処」の食堂、その名もずばり「最北端」。


そして、そうです、これが日本最北端のトイレです。
と、これで終わろうかと思ったが、トイレよりはキツネの方が良いか…と。


「キツネに餌を与えない」というのは、さすが北海道という北の国。

この他にも、日本最北端のコンビニ、日本最北端のJRの駅、日本最北端のデパート、
と、「日本最北端の・・・」を連発したのは、日本最北端のバスガイドさんだった。

この後、東京方面から到着した人達を空港で迎えてから稚内港へ。


稚内港から約2時間、フェリーで礼文島へ着いた。
礼文島の香深港では、勿論「ようこそ」の看板もあったが、
この「おかえりなさい 礼文島へ」の看板には味がある。
礼文旅館民宿組合が掲げた看板のように見えるが、
観光客が何度も訪れてくれるようにとのメッセージか?
添乗員が持つ旗が2つ風になびいているのが写っているが、
たくさんの旅行社にリピーターを連れてきてもらって、
「お帰りなさい」と迎える、ということだろうか…、


レブンアツモリソウを見に礼文島へへ続く



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