八重山諸島巡り、石垣島・小浜島


沖縄本島へは以前に行ったことがあるが(HPには載せていない)、
今回は八重山諸島の中でも以下の5つの島を訪ねた。
旅程は、石垣島→竹富島→小浜島→由布島→西表島→石垣島だが、
内容の多い少ないの関係から訪ねた順番を変えて書いてみよう。

石垣島は、日本最南端の都市であり(石垣市)、
沖縄県では沖縄本島、西表島に次いで3番目に大きな島である。


730(ナナ・サン・マル)記念碑。
沖縄が本土に復帰して6年後の1978年(昭和53年)7月30日に、
道路交通方法が一斉変更された歴史的な記念日である。
アメリカ統治の名残りで「人は左、車は右」であったのが、
本土と同様に「人は右、車は左」に移行されたのである。

沖縄といえば、夫は50年前にパスポートを取って行ったとか。
アメリカ統治の頃で、お金もドル紙幣で1ドル360円の時代である。
初めて行った「外国」が沖縄だったという昔語りである。


京都を出た日は寒くてダウンのコートを着ていたのに、
石垣島に着いてみると、この表示の通り気温は高く、
夜は長袖を羽織ったが、八重山諸島滞在中は半袖で過ごした。
北海道では雪のニュースに、日本は縦に長いことを改めて実感した。

先ずは、石垣島鍾乳洞の写真から。


石垣島最大の鍾乳洞。
密集度が高く色も形も変化に富んでいる。
サンゴ礁からなる琉球石灰岩の神秘的な鍾乳洞である。


今にも滑り落ちそうになっているこの石には
「おちてたまるか!(受験石)」と書いてあります。


沖縄の海らしい、八重山諸島の海らしい、美しい色合いの海。
淡い薄い緑色のこの海の中にはサンゴ礁が広がっている。

空がどんよりとしているが、この時だけほんの少し雨に降られた。
八重山諸島の天気予報は毎日同じで「晴れのち曇り時々雨」だそうだ。
4日間の内で「時々雨」に降られたのは船に乗っていたこの時だけで、
傘を使うこともなく天候には恵まれた。晴れ男晴れ女の面目躍如だ。


川平湾ではグラスボートに乗ってサンゴ礁の海を行った。
船の底のガラス越しなので色がきれいに撮れていないが、
サンゴ礁に熱帯魚が舞い、大きなシャコ貝もいくつも見えた。
この写真では、閉じたシャコ貝(左上)と開いた(真ん中)のが見える。
「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスが立っているのがこの貝だと思った。



玉取崎展望台からの美しい眺め。
海の色の違いがよく分る。


サトウキビ畑とパイナップル畑。
バスの窓から撮ったので写りが悪いが、
パイナップルが鈴なりという光景は見事である。


沖縄県の県花でもあるデイゴが咲いていた。
南国の花で日本では沖縄県が北限とされているようだ。

デイゴの花が咲き乱れるとその年は台風の当たり年になるとかで、
ヒット曲「島唄」の中の歌詞にもそのように唄われている。


小浜島で泊まったコテージの「星野リゾート リゾナーレ小浜島」。
琉球式の赤瓦屋根が美しく、これはタコノキではなくアダンの実だろうか。

ちなみに、小浜島はNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台となった場所である。


ついでに、西表島で泊まった「星野リゾート ニラカナイ西表島」。
あちこちで咲き誇っていたブーゲンビリアがベランダも飾っていた。
どちらも、広い部屋にデイベッドまである快適なホテルだった。


デイベッドとは、日中にくつろぐベッドのことで(奥のベッド)、
夜に寝るベッドとは別に、寝転がるベッドのことだそうだ。


石垣やいま村。
名蔵湾を一望する丘の上にあり、豊かな自然を背景に、
市内から築80年以上の赤瓦の民家を移築して、
旧き良き八重山の家並みを再現している。
旧士族の屋敷の他にも漁師や農民の家も再現されていて、
古い漁具や古い農機具や生活用具なども展示されている。


カンムリワシは、バスで走っていた時に木に止まっているのを見たが、
写真には撮れなかったので、これは石垣やいま村で飼育されているもの。


石垣やいま村にはリスザルの森もあり、自然に近い状態で飼育している。
リスザルは手のひらに乗るほどの小さなサルで、人なつっこい。
が、この人なつっこさが曲者で、人間が持っている物を失敬する。
食べ物が入った袋は見せないようにカバンの中に入れて、
しっかりと口を閉めるように、と、係りの人から注意を受けた。

突然、首の辺りに生暖かい感触があると思ったら、
後ろから来たので気付かなかったのだが肩の上に乗ってきた。
リュックの外のポケットに入れていたビニール袋を取られていた。
「食物は何も入ってないよ〜」と言ったのだが、係員が取り返してくれた。

石垣やいま村ではスリにご注意を!
スリザル、いえ、リスザルに注意しましょう。


竹富島・由布島・西表島へ続く



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