高野山の宿坊に泊まる


龍神温泉からバスに乗り、護摩壇山を経由して、
右へ左へと曲がりくねったカーブ、カーブの連続で、
どこまでも山また山と続く風景の中を2時間近く走って、
この日、高野山で泊まる宿坊近くの千手院橋へ着いた。

ところが、そこはまるで繁華街のような賑わいだった。
日曜日だったからと思われる。 翌日は月曜日で、
観光客も少なくなり、静けさを取り戻していた。


高野山全体の総門として西の入り口にある大門。
大門周辺からは淡路島や四国まで眺望できる。


大門を通って振り返って見ると、その巨大な門も
周りの巨木の中では、いかにも釣り合って見える。


次は、高野山開創の地である壇上伽藍へ。
空海が眠っている奥の院の大師御廟と並ぶ高野山の二大聖地である。
高野山の総門である大門に対して、壇上伽藍の門は中門と言われる。


中門には四天王像が安置されていて、伽藍の内側に向かっては増長天と広目天が。
何故か、増長天の胸元にはトンボが、広目天の胸元にはセミが彫られている。

トンボは、真直ぐ前に飛ぶ姿から「後ろに退かない」という意味が込められ、
セミは、大きな鳴き声が周囲を圧倒することから「威嚇」を表しているそうだ。


根本大塔。
真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔。


金堂。
高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきた。


御影堂。
弘法大師の御影を祀っている。


不動堂。
高野山最古の仏堂で、屋根の勾配が美しい。


上記御堂のあちこちで修行僧たちが祈りを捧げる場面を見かけた。
若々しい修行僧たちが御堂にぬかずく姿には凛とした空気を感じた。


移動中も列をなして、足早に進んで行く。
歩きながらも経本を見ながらお経を唱えている。


次には金剛峯寺へ。
金剛峯寺は、総本山として高野山全体を総轄している。
「蟠龍庭」は、石庭としては日本最大規模の庭である。

さて、いよいよこれから奥の院へと歩を進めます。
実際には、先ず一番先に奥の院を訪ねたのだが…。


参道入り口の「一の橋」。 ここで一礼してから渡る。


一の橋から奥の院御廟まで約2kmの参道には、
樹齢200〜600年の杉木立が両脇を埋める中、
20万基を超える諸大名の墓石群で埋まっている。

その中で、目についた歴史上の人物を入れてみよう。


武田信玄とその子勝頼の墓所。 左が信玄、右が勝頼の供養塔。
豪華を誇る上杉家に比べ簡素な墓石は逆に心に迫るものがある。


その豪華を誇る上杉謙信廟。


石田三成。


明智光秀。


一の橋から御廟橋までの真ん中辺りにある「中の橋」。


豊臣秀吉と秀吉一族の墓がある。


織田信長の墓所。

なお、戦国武将のみならず、皇族や貴族、実業家、文化人や有名企業、
また、阪神淡路大震災の慰霊碑、関東大震災犠牲者供養塔、などなど、
墓石や供養搭、祈念碑、慰霊碑などが20万基を超えるというから驚く。


「御廟橋」。
この橋を渡ると、弘法大師空海御廟への霊域に入る、ということで、
橋の前で脱帽、一礼して橋を渡るように、との注意書きがあった。
奥の院御廟橋を渡れば、写真撮影も許されない聖地の中の聖地。

ということで、たくさんの禁止事項が書かれていた。
「禁煙。携帯電話使用禁止。撮影禁止。飲食禁止。ペット持ち込み禁止。
歩きスマホ禁止。」それに、新しく書き加えた「ポケモンGO使用禁止。」

この先は写真を撮れなかったので、その他の話題を続けよう。


杉の大木を従えたようなお墓と
程よく苔むして着飾ったお墓。


お墓にはシキミでも花でもなくコウヤマキが供えられていた。
高野山では、花の代わりにコウヤマキ(高野槙)を供えるとか。
お供え用に切り揃えられたものや、苗で売られているのも見た。
でも、このように垣根にずらっと植わっているのもあった。


奥の院への参道では、修行僧?に何度も後ろから追い越された。
4人で1組になって大股で足早にサッサ、サッサと歩いて行く。
後ろから2番目のお坊さんは髪の毛も剃っていない女性だった。
どこか他所の寺から修行に来ている人だろうか?


高野山の7つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の中で、
高野山北西入り口の不動坂口に現在唯一残っている女人堂。

1千年余りの間女人禁制で、女性はここから山内に入ることは許されず、
登山口にある女人堂に籠って、弘法大師御廟へ向かい祈りを捧げたのだ。
女性が入山を正式に許されたのは明治に入ってから(明治5年)である。


おっと、「宿坊に泊まる」という題名にしたのを忘れるところだった。
最後になってしまったが、忘れないよう、宿坊の話題も書かなくては。


高野山内には117もの寺院が立ち並んでいて、
その1つである一乗院の宿坊に泊まった。


最初に玄関で出迎えて下さったのは確かに修行僧だった。
しかし、部屋への案内や食事や寝室の用意などの世話は、
宿坊のスタッフということがこちらから尋ねて分かった。


驚いたのは、床の間付きの部屋は広くてきれいで、
障子を開けると庭が眺められるようになっていて、
エアコンに薄型テレビ、ウォシュレットのトイレ、
などなど、一般の旅館と何ら変わることもなく、
大浴場も清潔で、快適に過ごすことができた。


これは、部屋の床の間に掛かっていた「猿」の切り絵。
あちこちでこの切り絵の奉書が掛かっているのを見た。
「宝来」といって、「宝珠」「寿」「干支の動物」など、
寺院や商店などの建物のあちこちにこの宝来を掛ける。
これは、しめ縄の代わりに掛ける縁起物だということだ。


一般の旅館と違ったのは、朝のお勤めに出たこと。
門限は21時で、翌朝の勤行に備えて早目に寝た。
勤行は6時半からで、6時10分から入れるので、
勤行が始まる前に行って、本堂の中を見て回った。

これは、勤行が始まる前に撮っていたものだが、
やはり、上には宝来の「宝珠」が掛かっている。

なお、朝のお勤めは、お坊さんのお経を聞きながら、
もらった経本を見ながら般若心経を唱え、お焼香した。

廊下の雑巾がけ、庭の掃き掃除などはない、念のため。


最後はやはり精進料理で終わるのが平和でしょうか。
本膳、二の膳、三の膳とこの他にも何品か運ばれてきて、
見た目も味もおいしい精進料理で、お腹が一杯になった。

ページに入れた写真も一杯で、お腹が一杯になったところで、
さ、さ、お茶にでもしましょう。 どうぞ、どうぞ。


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