龍神温泉の恐〜い吊り橋



秘境と言われた龍神が観光客が訪れる温泉地になったとはいえ、
この通り、老舗旅館が続く佇まいは、秘境の趣を漂わせている。


島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉と共に、日本三美人の湯
と言われている龍神温泉なので、源泉掛け流しの共同浴場である
日帰り入浴施設の「龍神温泉元湯」にも「日本三美人の湯」とある。


龍神温泉は、澄んだきれいな日高川に沿って並んでいる。


アユ釣りやアマゴ釣りをしている人をあちこちで見かけた。

話が最初に戻るが、JR紀伊田辺駅の龍神温泉行きのバス停で、
大阪から日帰りで来ているという男性と知り合った。
龍神温泉がどういう所か見てみたいから来たということだった。

我々はこの日は龍神温泉に泊まり、翌日は高野山へ行くと話し、
「恐〜い吊り橋があるそうですよ」と話すと、興味を持ったようだった。
宿に荷物を置いて一服して、散策に出た時に又その男性と出会った。

曰く、「恐〜い吊り橋がありましたよ。ギシギシ言って恐かったですよ。」と。
「場所は、ここからすぐそこの場所にありましたよ。」と言われたが、
目的の恐〜い吊り橋は、まだそこから30分程歩いた場所だと言ったら、
「そうですか、まだ30分も先ですか。でも、あれだって十分恐かったですよ」と。


これが、あの男性が恐〜い吊り橋だと言われた吊り橋だと思われる。
確かに、歩くとギシギシと音がしたが、歩いてもそんなに揺れないし、
何より、両脇には頑丈な手すりがあって、我々には全然恐くなかった。


目的の恐〜い吊り橋を探して歩いて行くと、次に架かっていた吊り橋。
これは、両側の丸太の隙間から落ちないよう気を付けなければいけないが、
これとて、高い位置までしっかりと手すりがあり、まだまだ恐くはなかった。



さて、いよいよこれが、恐〜い「野々垣の吊り橋」。
ワイヤーが張られているだけの手すりも低くて頼りなげだ。

足元の横に渡されている木材も古くて、間隔もまちまちだ。
つまり、古くなってくっついたり離れたり、動いているのだ。


これは渡りきった反対側から撮ったものだが、
両脇のワイヤーというか針金が細くて頼りない。


実はこの吊り橋、渡る定員は1人なのです。
それ程に危険ということか…。おぉ、こわー。


揺すらなくても、歩くと右に左にとかなり揺れるのです。
がに股で歩いているのは、バランスをとるためです。

でも、吊り橋を揺らさないように歩くコツが分かってきたので、
行きよりも帰りの方がスムーズに歩いて帰ることができた。


その揺れる吊り橋の上で立ち止まって両側の景色と橋の下を撮った証拠写真。


恐〜い「野々垣の吊り橋」を恐くない場所から撮ったもの。
白い洋服を着た女性が歩いています。否、立っているのかな。

なお、スリル満点だった四国・祖谷のかずら橋(こちら)もどうぞ。


龍神温泉では恐〜い吊り橋を渡っただけという訳でもない。
これは、何ともこじんまりとしたその名も「温泉寺」。

弘法大師が難陀龍王の夢のお告げで泉源を見つけて浴場を開いたことから
「龍神温泉」の名が付けられたと伝えられていて、薬師如来を安置して、
明算という僧によって龍王社薬師堂が再建されて、名付けられたとか。


その温泉寺の裏手の急勾配の山を登って行くと、曼陀羅の滝がある。
「曼陀羅の滝」という名前は、弘法大師が付けたと伝えられている。
中里介山の小説「大菩薩峠」の中で、主人公の机龍之介が失明寸前の時、
この滝で洗眼したところ全治したという話があり、有名になったそうだ。


龍神温泉なので、龍神の写真を集めてみました。
これは、日高川に架かっている龍の里橋。
橋の左端に龍の頭が、右端には龍の尾が。
2枚の写真の間の長い橋を想像して下さい。


左は、日帰り入浴施設の「龍神温泉元湯」の玄関前の壁に彫られていた龍神。
右は、上ばかり見て歩かず、下を見て歩くと見つかる下水用マンホールの絵。


道路のガードレールにも洒落た龍神の絵が描かれていた。


でも、「日本三美人の湯」ですから、最後はやはり温泉の写真で。
日高川を眺めながら、露天風呂に入って、美人になりましょう。

え、私は美人になったか、ですって? それは、・・・・・・。


高野山の宿坊に泊まるへ続く

りゅう

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