京都三熊野神社


今年は酉(とり)年ということで、初詣は鳩にゆかりの三宅八幡神社(こちら)へお参りした。
今回は、鳥、とりわけ八咫烏に関係の深い京都三熊野神社を訪ねてみた。

「京都三熊野」とは、京都にある三つの熊野神社の総称で「京の三熊野」とも呼ばれる。

平安時代には紀伊熊野にある熊野三山(熊野本宮大社の本宮と熊野速玉大社の新宮と熊野那智大社の那智)
に参る人が絶えない熊野詣でが盛んだったが、京都から紀伊熊野までは遠くて大変な行程で、
そこで、熊野三山を京の都に勧請したのが、京の三熊野神社である、ということのようだ。
なお、後白河法皇により創建された京都三熊野神社だが、
その後白河法皇は、生涯で34回も紀州の熊野三山詣でを行ったそうだ。

熊野三山は、以前に訪ねたことがある(「熊野古道・大日越え」)と「熊野古道・大門坂」)。

熊野三山と同様に、新熊野神社は本宮、熊野神社は新宮、熊野若王子神社は那智を擬している。


これは新熊野神社。 新熊野神社は「いまくまの」と読むが、
紀州の熊野神社に対し、京に創った新しい今の熊野神社という意味で、
「いまくまの」と呼ばれるようになったとか。熊野三山の本宮にあたる。


境内の中のあちこちで八咫烏(やたがらす)の絵を見ることができた。
八咫烏は、上記「熊野古道・大門坂」で書いているので、ご参照下さい。
絵馬も勿論、珍しい3本足の八咫烏で、八咫烏は、神の使いである。


本殿の裏には「京の熊野古道」があった。
「熊野古道入口」と刻まれた石柱が立っていて、
入口から小さな丘を上がり、木々に覆われた道を行くと、
様々な展示物が置かれていて、展示物には説明があり、
熊野三山の御利益巡りをすることができるようになっている。


紀州熊野から運ばれた後白河法皇お手植えの樟(クスノキ)で、
樹齢900年の巨木でありながら、現在でも成長し続けている。


次は、熊野神社へ。 熊野三山の新宮にあたる。


ここにも、欄間の彫り物などや絵馬に、八咫烏が描かれていた。


ついでながら、屋根にも門塀にまで、八咫烏が居た。


最後は、熊野若王子神社へ。熊野三山の那智にあたる。
熊野若王子神社は、哲学の道の起点にもなっていて、
後白河法皇の熊野詣での折には先ずここで身を浄めたとか。



ここにも八咫烏があちこちに居た。
屋根ではどこに居るか探して下さいね。


「京都十六社朱印めぐり」にあった八咫烏の朱印。


那智の滝には規模においてずっと劣るが、確かに滝もあった。


こんな大きな案内板を見ると、山歩きで20分でも行かざるを得ない。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」が終わってからすでに3年以上が過ぎ、
ついででもページで取り上げるには、いささか遅きに失した感があるが、
やはりここまで来て取り上げないのも、ついでだから、許しを請おう。


この日は山の中を歩くとは思ってもいなかったので、
街歩きの靴では、たとえ20分だけでも歩き辛かった。


NHKの大河ドラマ「八重の桜」は、同志社を創設した新島襄の妻・八重が主役だったが、
ここにある右の新島襄のお墓と左端の新島八重のお墓では、明らかに大きさに差があり、
新島襄が主役であることが分かり、複雑な気分、というか、これが現実か・・・。


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