隠岐諸島・島前


隠岐諸島は、本土に近い島を島前(どうぜん)と言い、その奥の島を島後(どうご)と言う。
島前は、知夫里島と中ノ島と西ノ島の3島から構成される群島であるのに対し、
島後は、島前三島から島後水道を隔てた島後の1島から構成されている。
主な島はこの4島であるが、その他にも180もの小島がある。


これは下で書く赤ハゲ山展望台にあった地図だが、
右側の地図が、島前と島後、左側の地図が島前3島。

ページでは、諸事情から島前から先に書いてみるが、実際の行程は異なり、
本土から島後へ、島後から島前へ、島前から本土へ、と計5回も船に乗った。
乗った船も、高速船、フェリー、貸切船、と、いろいろだった。

今回は、初めてジパング倶楽部のツアー(日本旅行)に入って行ってきた。
「ジパング倶楽部」というのは、ご存知でない人のために簡単に書くと、
入会資格は、個人会員が男性満65歳以上、女性満60歳以上で入れる。
夫婦会員は、どちらかが満65歳以上であれば加入できる。
年会費は、個人会員が3770円、夫婦会員が6290円。
JRを201km以上利用する場合、最大で30%の割引になる。
3割引きは大きいので、すぐに元が取れる。

ツアーにしては行程がゆっくりなのが良いと選んでみたのだが、
船を降りる港で降りていなかった人が居て大騒ぎになったり、
軽い怪我をした人が居たり、高齢者の団体ならではの話題もあった。
が、そのことについては、次ページで書くことにしよう。

島後の西郷港から島前・中ノ島の菱浦港へフェリーで渡った。


島前の中ノ島にある隠岐神社。
承久の乱によって隠岐へ流された後鳥羽上皇を祀っている。


4月11日でもまだ桜がきれいで、桜のじゅうたんの上を歩いた。

菱浦港から西ノ島の別府港へは小さな貸切船で。


島前の西ノ島にある赤尾展望所からの眺め。


国賀浜の通天橋。
海に大きくせり出した巨大な岩が侵食によって出来た岩の架け橋。


国賀海岸が一望できる赤尾展望所一帯は放牧地で、
牛や馬がのんびりと草を食べていた。

牛や馬がのんびりと草を食べていたということは、
落し物を踏んづけないように気をつけて歩いた。


摩天崖。
巨大なナイフで垂直に切り取ったような大絶壁。
ビルの70階建てに当る高さ257mだそうだ。
この摩天崖から見る景観はいかにも雄大で、
波の浸食によってさまざまな地形が形成されているが、
その崖面からは火山活動の記録を見ることができる。


あの大絶壁の上の緑の草地でも牛馬が放牧されている。
大きくしてみると確かに草を食べているのが見える。
崖から落ちることはないのだろうか?


この窪地は第二次大戦中に旧日本軍が使っていた監視所跡。
国賀と呼ばれるこの台地は大変見晴らしが良く、
日本海を航行する敵船の監視をしていたそうだ。
建物は半地下式で、窓だけが陸上部に出ていて、
屋根の部分に芝を張ってカモフラージュしていたとか。

別府港から知夫里島の来居港へも小さな貸切船で渡った。


島前の知夫里島にある赤ハゲ山展望台からの眺望。
知夫里島の最高峰である赤ハゲ山(325m)からは
隠岐諸島と、はるか島根半島や鳥取県の大山まで望める。


赤ハゲ山とは、山肌が赤いことからその名が付いたそうだが、
昔、山火事で木々が焼き払われて以後木々がほとんど生えておらず、
現在のような牧草地になったという標高325mのなだらかな草山である。


野大根(ハマダイコン)の花が一面に咲いていた。

さて、バスで移動した「赤壁」には信じられない光景が待っていた。


赤壁(せきへき)。
こちら側の崖から身を乗り出して右側の崖を撮ったのが下の写真。
強風が吹くと落ちそうで、服を引っ張ってもらいながら写真を撮った。

パンフレットには「柵はつけません!安全は自己管理」と書かれていた。


この崖は元々この場所にあった小さな火山(火砕丘)の断面で、
岩の赤い色は噴火した溶岩のしぶきに含まれる鉄分が酸化したため。

約1kmにわたって、赤や黄色や茶色などの鮮やかな色の崖が続いている。
ざっくりとえぐられた赤茶色の断崖は圧巻で、大迫力の光景だ。


こちら側の崖から左側の崖を撮った写真。
上下3枚を繋いだ写真もあるが、縦長になり過ぎるので単独写真を。

ちなみに、バスへ戻った時の点呼で言われたことは、
「崖から落ちた人は居ないようですね。では出発しましょう。」

なお、知夫里島には「赤ハゲ山」の他に何と「薄毛」という地名もあり、
案内して下さった少々薄毛のバスの運転手さんの自虐ネタには笑った。

それにしても、「赤ハゲ」だの「薄毛」なんて誰が名付けたのやら…。


隠岐諸島・島後へ続く



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