ナスカの地上絵
リマのホテルで、朝6時半にモーニングコール。
専用バスでパンアメリカンハイウェイを南へ約4時間走ってピスコへ向かう。
リマの町外れでは、緑の木の生えないボタ山のような山の斜面に沿って、
色とりどりのたくさんの家が段々と上へ上へと建てられていた。
バスの中から見える風景は、延々と続く砂漠とボタ山のような山ばかり。
道路の側には大きく育ちそうには見えない植えられた貧弱な木が数本。
砂漠の中に小屋を建てて何年か住めばその土地の所有権を得られる、
ということで、あちこちに小さな小屋が不法に建てられていた。
途中、パラカスで昼食。
パラカスの港近くで自由時間があり、買い物をして、海岸の写真を撮った。
浜辺で遊ぶペリカンを撮りたかっただけなのに、赤い服を着たおじさんが寄ってきて、
餌をやってペリカンをおびき寄せ、挙句の果てに私の手に無理やり餌を乗せて、
ペリカンが私の手から食べるように演出してくれる。要らぬおせっかいだ。
ペリカンに餌をやりたい訳ではない、ただ、写真を撮りたいだけなのに。
でも、仕方ない、写真を撮らせてもらったお礼にチップを出さなくては。
世界遺産のナスカの地上絵はセスナ機に乗って見る。
セスナ機に乗る前には重さの均衡を保つために全員の体重を量る。
体重を知られるので、荷物を持った人は荷物が重いことにする。(^^;)
前後左右のバランスを取り、誰がどこに座るか体重で座席が決められる。
セスナ機はパイロットを入れて6人乗りの小型セスナ機が主流だそうだが、
3人が別のグループの中に入り、10人は12人乗りの中型セスナ機に乗った。
前のフライトから順番に遅れているということで、かなりの時間を待たされた。
セスナ機なのでちょっとした天候の変化にも左右され何時間も待たされた上に、
日が暮れてしまい、結局その日は飛べなかったということもよくあるそうで、
待たされても我々は全員が飛べただけで良しとしなければいけないようだ。
しかし、やっと飛べるようになった時はすでに暮れかけていた。
それに、はっきり言って写真はよく撮れないだろうと添乗員さんから言われていた。
よく撮れないので写真に撮ろうとするよりも自分の目でしっかりと見て下さい、と。
そうは言われてもやはり写真に撮らないとホームページに書けない、ということで、
写真はかなり修正して浮かび上がらせたので色も不自然なことをご了解下さい。
パイロットはどちら側の席の人にも見えるように飛んで順番に見せてくれるので、
反対側に見える時は身を乗り出したりしないで自分の席から見える時だけ見て下さい、
と、添乗員さんからは公平にどちら側からも見えるということを何度も注意された。
パイロットは、「右! クジラ!」と日本語の単語を言って見える物を知らせてくれた。
すると、添乗員さんが「右!! クジラ!! 羽の下!!」と補足説明をして下さった。
右側の席の人は「どこどこ? 分らないよぉ。 あぁーっ、見えた!」と喜びの声。
パイロットが「左! サル!」。 添乗員さんが「左!! サル!! 羽の先!!」と。
左側の席の人が「どこどこ? えぇーっ、見えなかったよぉ。」と分からないこともあった。
つまり、全員が全部をはっきり見た訳ではなくて、見えたという感想には個人差があった。
あぁー、あそこかと分った時には写真に撮るには時すでに遅しということもあるので、
自分では分らなくてもとにかくカメラで撮っておいたら撮れていたということもあった。
この辺りには何も描かれていないと思うが、まだ発見されていない絵が隠れているかも?
地上絵は、地表の黒い小石や砂を取り除いて白っぽい明るい地面を出すことで描かれている。
雨がほとんど降らない気候が、地上絵を雨で流すことなく現在にまで残している訳だが、
誰が何のために、空から見なければ分らないようなこんなに巨大な絵を描いたのか?
「三角」
「トラペゾイド(台形)」
「クジラ」
「宇宙人」
「サル」
「ハチドリ」
「コンドル」
「クモ」
「ペリカン」
「オウム」
「手(右下)と木(左上)」
セスナ機が飛ぶのを何時間も待たされたせいで、ホテルへ帰ったのは夜中の12時過ぎ。
部屋へ入ったのは12時半頃で、それから荷物の仕分けをして眠ったのは1時半頃。
翌日はクスコ観光の後マチュピチュへ向かう高原列車には大きな荷物の置き場所がなく、
マチュピチュでの2泊分だけの小さな荷物を持って行くために、ホテルへ残す荷物と分けた。
政府の事業仕分けや規制仕分けとはレベルが違うが、仕分け作業には思ったより時間がかかった。
クスコ観光へ続く
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