カナダの思い出(4)


1977.8.21撮影

2002.5.24撮影

25年ぶりに訪ねた小学校の建物は昔のままの姿であった。
が、そこにたむろしていた生徒に尋ねてみると、
今は隣接する高校の施設になっていた。
小学校は統廃合されて、別の場所へ移ったとか。
少子化現象はカナダでも同じだったようだ。

子供の英語学習過程

子供たちは「英語」が何なるかも全く知らない白紙の状態だった。
すぐに子供が小学校の幼稚園クラスへ通うようになった時は、
連絡先を書いた迷子札を首からぶら下げた他に、
「おしっこへ行きたい」「お腹が痛い」「家に電話して」などと
予想できることをいろいろカードに書いて持たせた。

子供が英語を覚える過程が興味深かった。
先生が「Stand up」と言えば生徒が立つし「Sit down」と言えば座るから、
「立つ」は「Stand up」で、「座る」は「Sit down」だと知る。
最初はこういう言葉を覚えて帰ってきた。
しかし、「お母さん、今度の月曜日はお休みだよ」と言った時には驚いた。
カレンダーを見たら確かに休日になっていた。
動作を伴う英語を覚えていく過程は理解できる。
しかし、どうして「次の月曜日」「お休み」という抽象的な言葉が
解るようになるのだろうと不思議だった。
放課後友達の家に遊びに行くという約束までしてくるようになった。
友達の家はどこなの?と聞くと、学校の裏手だと言う。

も一つ興味深かったのは、話す英語。
先ず聞く方が先に出来るようになって、話す方は後からだった。
家に遊びに来てくれた友達としゃべっているのを聞いていると、
繋ぎの英語がなくて、単語だけを並べてしゃべっていた。
それも、「ぼく」「行くよ」「先に」とか、「遊ぼう」「外で」などと
単語の順番は間違って言っていた。
とにかく単語を発してそれから修正していくんだなと知った。

2度目に滞在した時は長男が小学校2年生で、日記を書いていた。
この中にいろいろ興味深いことが書かれてあるので一部を紹介してみたい。
特に、カタカナで書いている英語の表現が我々大人が書く表現と違って、
そうか、子供の耳にはこんな風に聞こえているのかと興味深い。
日記の中身はすべて原文のまま。

『ノースデールスクール(学校)』
このまえ、ぼくのともだちのアレンという子どもが、けんかをしました。
ぼくがジャングルジムであそんでいると、ころげまわってけんかをしていました。
パンチをしたり、キックをしたりしています。ぼくは、
「うわあ、けんかをしてる。」といいました。
しばらくしてるとティチャー(先生)がきて、
「ドントゥ(あかん)。」といいました。
すると、先生はえいごでなにかいって、いってしまいました。
( )の中に京都弁で「あかん」と書いているのがおもしろい。

『さんすうプリント』
おとといみんながさんすうをやっている時、ぼくはおもいきって手をあげてみました。
ティチャー(先生)は、
「そういち。」といって、あててくれました。
ぼくは、4ひく2だったので、
「トゥー(2)。」とこたえました。ティチャー(先生)は、
「ライトゥ(そうです)。」といってくれました。
それから、少しすると、ティチャーが、さんすうプリントをくばりました。
きょうはみんなといっしょにします。きっとぼくが手をあげたからわかって
いるんだなとおもったのでしょう。だから、さんすうプリントはぼくもしました。
まず、>、=、< のどれかをすうじの間にどれかを入れます。
そんなのぐらいパッパッパッとやってしまいます。
あとで、えいごがしゃべれなくてもみんなといっしょのことが、
できるんだなあとおもいました。
算数だけは世界語だから、英語が解らなくてもできる唯一の学科だ。
いつも何もしゃべらなくて解っているとは思えない長男が手を上げたので、
すぐに当ててくれた先生の驚きがよく分かる。
日本よりも易しいレベルの算数を完璧にこなす長男にびっくりされたことだろう。

『あそび時間』
きょうのあそび時間は、アレンとあそびました。
アレンはフレンチ(フランス)人です。
だから、ぼくとおなじでえいごがあまりしゃべれません。
だから、ともだちになりました。
きょうは、おいかけっこをして、あそびました。
クリスティナーという女の子がおにです。
アレンは「カモーン、そう一(おいで)」といってにげています。
そのほかアレンは「ストップ(とまれ)。」といったりしてにげていきました。
ぼくは、がい国人ともあそべるんだなあとおもいました。
英語が下手な者同士で仲良くなる、という構図は大人と同じか。(^^;)
言葉が解らなくても遊べるという感想は別のところでも書いていた。
コマを回して遊んでいると4人の子供が「貸して」と言って来たが、
みんなへただったのでおしえてあげました。
えいごはわからなくてもかっこでおしえてあげました。
「こんなふうにするにゃ」といっておしえました。
「こんなふうにするにゃ」とは味のある日本語だ。(^^;)

『えのぐ』
おととい、はじめてえのぐで絵をかきました。ティチャー(先生)は、
「まず、はしっこにブラック(黒)のクレヨンでライン(せん)を書きなさい。」
といっているようです。だからぼくははしっこにぎざぎざのライン(せん)を書きました。
ぼくはほかの人のを見て書きました。
ぼくはあの人のがまちがっていませんようにおもっていました。
真似した人のが間違っていませんように…気持ちがよく解る。(^^;)
中略
「えができあがるとえのぐでまわりの色をぬりなさい。」
といっているようでした。
ぼくはまちがっていませんようにとおもいながらかきました。
しばらくかいているとティチャーがきて、
「グッド(うまい)そう一」といってくれました。
しばらくすると「フィニッシュ(おわり)」といいました。
やはり簡単な単語から一つづつ覚えていっているようだ。

『ミセス・サムソン』
きょう、ミセス・サムソンというえいごのクラスに行きました。
ミセス・サムソンのえいごのクラスは毎日あります。
きょうはフルーツ(くだもの)のべんきょをしました。
中略
それからこんどはペーパー(かみ)にペアー(なし)とグレープ(ぶどう)と
アプー(りんご)とレモンのスペリング(りんごだったらAPPLEのえいご)と
えをかきました。
リンゴはアップルではなく「アプー」で、スペルではなく「スペリング」
と書いているところは、さすが正しい発音と正しい英語だ。

『さんすうカード』
このまえ、スクール(学校)で、さんすうの時間、
ぼくもいっしょに、さんすうカードをやりました。
そのやりかたは、たとえば、
「S(エス)」
というと、Sのいちばんはじめのもじの人が、その計算のこたえをときます。
はじまりました。
「S」
「フォーティーン(14)。」
ぼくは9たす5だったので、いいました。
「R」
「セックス。」
「No(ノー)。」
「セブン」
「ライトゥ。」
「T」
「テン(10)。」
ぼくはあってますようにとおもいながらいっしょうけんめいいいました。
おわりました。ぼくは3まいとれました。ティチャーは、
「グッド(うまい)そう一」
といって、ほめてくれました。
数字の6は確かに大人でもシックスではなくセックスと聞こえます。
でも、大人は「セックス」とは書けない。(^^;)

『ライブラリ』
このまえライブラリ(としょかん)へ行きました。
みんなでいっしょにウォーク(あるく)いて行きました。
つくとライブラリティチャー(としょかんの先生)が本をよんでくれました。
それがよみおわると本をかります。
ぼくは、かんたんな本をかります。
なぜかというと、えいごですからわからないからです。
いつもかりる時はそうです。
きょうは1さついいのがありました。
それとつぎのをさがしているとティチャー(先生)が、
「ディユワントディス?」
といいました。ぼくは、これがいいかといういみだなとおもって、
「イエス(うん)。」
といいました。
「ディユワントディス?」 これは大人には書けない言葉だ。
Do you want this? ドゥ ユー ウォント ディス?と書くだろう。

『マイコーとジョン』
きのうマイコーとジョンとアレンとぼくとで、あそびました。
いちばん上へ行って、あそびました。
マイコーは、
「ドンプッシュ。オッケー。」
といっています。これは、おしたらあかんといういみです。
マイコーは、いつもアレンにおされているからです。
でも、アレンはまたマイコーをおしました。ジョンは、
「ヘイ、ドントゥ(おーい、やめろ!)。」
といいました。
「マイコー」とは、大人は「マイケル」と書くところだろう。
耳から聞こえた通りをカタカナで書いている子供の聞こえ方を
大人も真似できれば、大人ももっと英語が上手に話せるだろうに。

我々は1回にわずか半年間を過ごしただけで、しかも長い夏休みを挟んでおり、
学校へ通ったのはほんの数ヶ月間だけ。
ほんの数ヶ月間だけでも、子供はたくましく馴染んでいた。

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