ベルギーへ


友人が車でボンからベルギーの彼の家まで連れて行ってくれた。
ドイツからベルギーへ行くといっても、車でわずか1時間半。
途中で「ここが国境だ」と言われても何も見えなくて分からなかった。
異国へ行くといっても島国の日本からは想像できない手軽さだ。


ベルギー語というのはなくオランダ語とフランス語とドイツ語が公用語で、
地域によって、それぞれ日常普通に使う言葉が違っている。
友人が住んでいるここはリエージュといって、公用語はフランス語。


ブリュッセルへ行った、とは言えなくて車で停まっただけだが、
1958年の万博会場跡にあるこれは万博のシンボルだったアトミウム。
鉄の9つの原子を表現している。


その他には、ブルージュという世界遺産の町へ行った。
ここが、その町への入り口で、この門をくぐって中へ入ると、
まるで中世の世界に迷い込んだかのような不思議な感覚だ。
町全体が世界遺産になっていて、たくさんの写真を撮った。
たくさんの中から選ぶのは難しいが、何枚かを載せてみよう。


下の4枚は、マルクト広場に立ち360度周囲を見渡した写真。


広場の東側はネオゴシック建築の州政府庁舎とその右側は郵便局。


北側と西側にはかつてギルドハウスだった建物が連なる。
ギルドとは、西欧の中世都市において、市政運営をしていた
商工業者の間で結成された各種の職業別組合だが、
今はレストラン、カフェ、土産物店、銀行などが並ぶ。


南側にはマルクト広場のシンボルでもある鐘楼があるが、
これは、内側の広場から見上げた鐘楼。


ブルージュは運河の町でもあり、イタリアのベニスと比べて、
「北のベニス」と言われる水の都をボートに乗って回った。


運河沿いには中世の雰囲気のする家々が続き、飽きることがない。


「ブルージュ」とは「橋」という意味があり、
街を縦横に流れる運河には50以上の橋が架けられていて、
白鳥やアヒルがのんびりと戯れていたりする。


ボートで回ると見飽きることのないこれらの建物だが、
何故このような町がそのままで生き残ったのであろうか?
12、13世紀の頃は北海と水路で結ばれ貿易港として栄えていたのが、
15世紀に入り、北海とブルージュを結ぶ水路が沈泥のために浅くなり、
商船が出入りできなくなって、町は衰退してしまったそうだ。
そのおかげで、中世のままの景観をそのままに留めて現在に至ったとか。


ボートを降りてもこのような建物ばかりでのんびりと散策するのが良い。


これは、ベギン会修道院。勿論これも世界遺産だ。
中世の頃に従属的な生き方をしていた女性達の自立を支援する修道院として生まれ、
夫や息子が戦死して残された女性達がここで共同生活を送っていたそうだ。
現在はベギン会修道女ではなくベネディクト派の修道女達が暮らしているとか。

ベルギーといえば、チョコレートやボビン編みのベルギーレースのことなど、
話題はまだまだあるのですが、長くなったので、そろそろ終わらないと…。(^^;)
最後は、運河をボートで回った時に見つけた家の壁を飾っていた物で終わりましょう。




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