都江堰と青城山



wiki.mapbar.com(都江堰分流図)から拝借

世界遺産に登録されている都江堰とは、
成都市の北西、岷江上流にある古代水利施設のことである。
岷江の水を成都平原方面へ分水して、水害防止や灌漑などに用いられるものだが、
造られてから2300年後の現在まで今でも使われていて成都平原の農地を潤している。
中国での古代の土木技術がいかに優れていて現在に至っているかを証明している。

かつて古代の岷江は、氾濫の絶えない「災禍の河」として人々に恐れられていた。
北から南へ流れる岷江に人工の中洲を造り、西側の岷江本流と東側の灌江に分流する。
水の一部を本流から分けて、その水を玉壘山を切り開いた運河を通して、
乾燥した成都盆地へ流すことによって成都市は緑豊かな穀倉地帯になった。

人工の中洲によって外江と内江に分れ、外江はそのまま岷江として下流へ流れるが、
内江は灌漑用水として「宝瓶口」へ流れ込み、さらにいくつもの用水路に分かれて、
成都平原へと流れて行くようになっている仕組みは現代にも通じる古代人の知恵である。

中州の最上流部を「魚嘴」と言い、最下流部を「飛沙堰」と言う。
「飛沙堰」は洪水対策のためのもので、岷江が増水した時は、
内江へ多量の水が流れ込むと水が流れ過ぎて氾濫を起こすので、
内江の水が飛沙堰を経由して外江へ戻るようになっている。


堰は川を分水する「魚嘴」と、土砂を灌江から排出する「飛沙堰」と、
灌江の水を運河へ導水する「宝瓶口」という3部分からなっている。
分水する人工の中洲の先端部を魚の口という意味の「魚嘴」と言い、
これが、その先端部の「魚嘴」である。


左奥が「宝瓶口」で、ついでながら、右側は「離堆」。
運河を切り開くために左側の山から切り離されて「離堆」の名がある。
山の上には都江堰を建設した李冰を祀る老王廟がある。


岷江の内江にかかっている吊り橋。
大勢の観光客が渡るので吊り橋は激しく揺れる。
目の下は激流渦巻く川なので落ちないよう注意が必要だ。


岷江の内江にかかっている、これは立派な豪華な南橋。
この日は良いお天気だったが、濁流が渦巻いていた。
大雨の後でもないのに多量の水が急流となって流れている。


さて、ここの世界遺産は都江堰と一緒に青城山も登録されている。
標高1600mで、数十もの峯から成り立っていて、山麓から山頂までは約5km。
道教ゆかりの地でもあり、道教寺院が点在し、多くの道士が修行している。

頂上辺りまではロープウェイで上がれるのだが、2年前の四川大地震の被害で
頂上への道はまだ通行禁止になっていて、途中の天師洞までしか行けないので、
天師洞を目標に先ずは青城山の山門をくぐって歩き始める。


青城山には前山と後山があり、後山の方が雄大な景色を楽しめるそうだが、
この日は都江堰を訪ねてゆっくり過ごした後で時間もなくなってしまい、
前山のしかも途中の天師洞までなので、雄大な景色はなく、この程度。


といっても、緑の木々が山全体を覆っていて青い城のようなので青城山、
という青城山の名前の由来からも、森林浴をしながら歩くことができる。


何時までに帰ってくるようにと言われた時間が少なくて、
とにかく急いで登り下りてきただけという感が否めない。
天師洞まで行かないで途中まで行って引き返した人達や、
登るのを止めてお茶屋でお茶を飲んでいた人達も居たが、
私はともかくも目標の天師洞へ到達したという証拠写真。


遊歩道はほとんどが石段になっているのが
歩き易いというか歩き難いというか…。
倒木が道をふさいでいた所もあったが、
地震で倒れたのをまだ放置しているのだろうか?


女性も馬も黙々と荷物を運んでいる。
荷物だけでなく、登るのに疲れた人に声をかけて人間を運ぶ人達も。
中国の観光地ではあちこちでこの人間を運ぶ人力の篭や担架を見るが、
気の小さい私は篭や担架を担ぐ人に遠慮して乗って楽をすることはできない。

本当は一度乗ってみて乗り心地などを書いてみたいのだが…。

成都大熊猫繁育研究基地へ戻る
楽山大仏へ戻る



目次へ 外国旅行記へ