青森から弘前へ


白神山地は、8月30日に十二湖の青池へ行ったが(こちら)、
その時は、ブナ林のブナの葉はまだきれいな緑色だった。
白神山地と言っても広くて、今回は、十二湖からは東方に位置する
「マザーツリー」と「暗門の滝」周辺を中心に歩いてきた。
山はすでに紅葉していて、緑のブナ林が赤黄色に変貌していた。

が、紅葉の白神山地の様子は次ページと次々ページで書くとして、
先ずは、青森市内と弘前市内を歩いた話題から始めよう。


大阪空港から飛行機に乗り青森空港へ向かった。
富士山を見ようと飛行機の窓から外を眺めていた。
富士山は航路から遠くて、はっきりとは見えなかったが、
はるか遠くに、白い雪を抱いた富士山が確かに見えた。
その時「右側に御嶽山と富士山が見えます」とのアナウンスがあり、
あわてて近くに目をやると、雲とは明らかに違う噴煙が見えた。
遠くばかりを見ていて、アナウンスがなかったら見落すところだった。
写真では、噴煙を上げている御嶽山の向うに富士山が見えている。

ニュースでは何度も見た悲惨な御嶽山頂上附近の映像だが、
空の上から眺める御嶽山はいつもながらの姿をしているようでもあり、
あの御嶽山が噴火したのかと考えると、不思議な感慨だ。


以前、青森を訪ねた時には「棟方志功記念館」などを見たので、
今回は、「青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸」を見学した。
青函航路の青森発最終便となった青函連絡船八甲田丸をそのまま利用して、
80年間津軽海峡を行き交った連絡船の歴史や船の構造などを展示している。


その昔、学生時代に北海道へ旅行した時には青函連絡船で北海道へ渡った。
学生のこととて、何等船室だったか安い階級の船室で雑魚寝した記憶があるが、
こんな風に、船に列車がそのまま乗っていたとは認識していなかった。
車両甲板と言われる甲板には鉄道車両をそのまま船内に格納して運べるように、
このように線路が敷かれた広い空間があったそうだが、当時は知らなかった。

なお、洞爺丸が沈没するまでは、貨車の入る後部は開いたままだったのが、
洞爺丸の沈没事故の後では、航海中は鉄のシャッターが下がるようになり、
安全度を高めたそうだ。


潮風に吹かれながら 青森港を一望できる煙突展望台。
操縦室やエンジンルームなどを見学できるのは勿論だが、
現役当時は立ち入ることができなかった煙突部分も開放されていて、
視界360度のパノラマで、青森港や青森市内を眺めることができる。


青森はやはり「津軽海峡冬景色」だろうか。
「八甲田丸」を背景に、「津軽海峡冬景色歌謡碑」。
前に立つとセンサーが反応して「津軽海峡冬景色」のメロディが流れる。
作詞:阿久 悠、作曲 編曲:三木たかし、唄:石川さゆり。 懐かしい。


次に行ったのは、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」
青森ねぶた祭の歴史や魅力を紹介し、ねぶたを体感することができる。

なお、青森では「ねぶた」と言うが、弘前では「ねぷた」と言う。
弘前のねぷたは扇形をしていて、青森のねぶたは人形。
その人形のねぶたを吹き抜けホールで見ることができる。


祭りに実際に出陣した大型ねぶたや、ねぶた面などが展示されている。


何でどうやって出来ているのか触って確かめたいのに触ってはいけない。
と思ったら、触っても良い作品が、というより触って確かめるようにと、
中を見られるようになっているこのような作品がわざわざ置かれていた。
木組みと針金で形を整え、和紙を貼り付けて出来上がっているようだ。


さて、弘前のことは以前にも載せているが(こちら)、
弘前といえば、やはりリンゴでしょうか。


以前は載せなかった(というより知らなかった)ので、
今回は、反射シートの写真を入れておこう。
リンゴの木の下には反射シートが敷かれている。
リンゴの下の部分にも光が当り赤くなるようにしている。


話が戻るが、八甲田丸の隣に海上保安庁の船があったので、
「わぁ、海上保安庁の船だ!」と言って写真を撮っていたら、
丁度その時船から降りてきた人が話しかけてきた。
(写真を撮ってはいけなかったかとドキッとした)

こちらを観光客と見てどこから来たのか?とか聞かれた。
(何か尋問されているのかとドキッとした)
京都からだと答えると「舞鶴に寄港して仕事したことがある」
「今、ナマコの密漁をしていた暴力団を4人捕まえてきたところだ」
と言われるので、俄然興味が湧いていろいろ話を聞いた。

尖閣諸島の見回りでも忙しいだろうに、ナマコの密漁…か。
最近ニュースで報じられている中国漁船による赤サンゴの密漁、
海上保安庁の取締りにも限界があるのだろうが、頑張ってほしい。



白神山地(1)へ続く



戻る   目次へ