ウィーンの夏



ベルヴェデーレ宮殿
トルコ軍からウィーンを救ったプリンツ・オイゲン公の夏の離宮。
「ベルヴェデーレ」とは「美しい眺め」という意味で、
バロック建築の代表格である左右対称の建物が美しい。


シェーンブルン宮殿
女帝マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットが育った夏の宮殿。
モーツァルトが6歳の時にここで初めて御前演奏をしたとか。
ナポレオンがウィーンを占領した時にはここを宿舎としたとか。
ウィーン会議では「会議は進まず、ただ踊るのみ」となった大饗宴の場。
と、世界の歴史上話題の多い宮殿である。


グロリエッテ。
戦いで死んだ臣下のことを忘れないために建てられた、
このグロリエッテの上から撮ったパノラマ写真がこれ
グロリエッテはシェーンブルン宮殿の庭を通り抜けた小高い丘に建っている。


シュテファン寺院とヴォティーフ教会。
シュテファン寺院は「ウィーンの象徴」「ウィーンの魂」と言われている。
天を突くようにそびえる塔は高すぎて、写真に納まらない。
屋根のモザイク模様が美しい。

この写真はH氏ご提供

シュテファン寺院の地下にはカタコンベ(地下墓所)がある。
ハプスブルグ家の人々の心臓以外の内臓が保管されていたり、
ペストで死んだ人々の約2000体の骨も保存されている。
手や足の骨が散らばっているのを見ていてふと気が付くと、
おびただしい数の骨が壁のようにうず高く積まれている中に、
頭蓋骨がいくつも混じっていて、思わず背筋を寒いものが走った。

と、ちょっと不気味な話題に行ってしまったので、
ここで、ドナウ川の話題に移りましょう。


9年前にオーストリアへ行った時にウィーンのドナウ川を初めて見た。
今年はハンガリーのブダペストを流れるドナウ川も見た。
ところが、どちらのドナウ川も青くはなくて土色をしていた。
ヨハンシュトラウスは写真のこの辺りを散策しながら、
「美しく青きドナウ」を作曲したと言われているそうだ。
やはり、ウィーンのドナウ川は土色をしていた。
洪水や河川工事でこのような色になったのかとも思ったが、
ウィーンの人に聞いてみると、昔からこのような色だったそうだ。

以下は、冗談話で聞いた、何故に「美しく青きドナウ」かだ。
「ブルーな気分」とも言うように、ブルーだったのはシュトラウス自身で、
彼はワインを飲んで酔っ払い、ブルーな気分のままであの曲を作った、と。


パフォーマンスで、全身を塗りたくって立っている人も、
さすが音楽の都で、音楽家になりきっている人が多かった。
最初はおもしろがって写真を撮るだけでお金を入れなかったが、
写真を撮らせてもらって、HPにも載せるかもしれないということで、
途中からは、前に置かれた箱にしっかりとお金を入れてあげた。

以上は、人が彫刻の真似をしているのだが、以下は本物の彫刻像。
ウィーンの町にはさすがに音楽家の彫刻像が多い。
少し歩いて集めただけで、これだけの写真を撮れた。

モーツァルト
ヨハンシュトラウス
ベートーヴェン
シューベルト
ブラームス
ブルックナー



さて、(左)国会議事堂は工事中だったが、(右)市庁舎も立派な建物だ。


壁や天井には壁画が描かれ、伝統的な装飾が施された、
市庁舎の中の歴史あるレストランで毎日昼食を食べた。
市庁舎前の広場では映像フェスティバルが毎晩行われていて、
軽食を食べられる店がたくさん出て賑わっていた。


ウィーンの森からはドナウ川が流れる市内のパノラマと、
ブドウ畑が広がっている様子を眺められる。


ブドウ畑を見た後はホイリゲを楽しみに出かける。
ホイリゲとは、「今年できた新しいワイン」の意味だが、
ホイリゲを飲ませる酒場のことも指している。

ウィーンでワインでウィーとほんのり酔っ払ったところで、

では次は、グラーツの夏



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