天守跡へ登る405段のこの階段がきつかった。 四国の金刀比羅宮(こちら)で1368段!を登った経験があるが、 金刀比羅宮の階段はコンクリートで同じ平面状の階段で歩き易いが、 ここの階段は石を積み上げているので、ごつごつして歩き難い。 膝を痛めて、どこにも行かなかったのが、やっと治ってきて、 足慣らしにと歩いたのが「狐坂(きつね坂)を通って」(こちら)。 「安土城下を歩く」は、その次の足慣らしだったのだが、 405段の石段はきつかったのに、引き返す訳にもいかず、 結局、頂上まで登り切った。 後日、膝は大丈夫だった。 足慣らしの「狐坂」での万歩計は8625歩だったのだが、 この日の万歩計は23542歩だった。 |
石段の中にある、何とこれは石仏だ。 築城の際に石材として使われたものだそうだ。 多くの石材は近郊の山々から採取したそうだが、 その中には石仏や墓石なども含まれていたとか。 出土した石仏等は、本来は信仰の対象となっていた物だが、 築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存している、 と、趣旨をご理解下さい、と説明板に書かれている。 |