大雲院・祇園閣(銅閣寺)



金閣寺(こちら)、銀閣寺(こちら)に続いて「銅閣寺」の話題を。
大雲院・祇園閣は、別名「銅閣」あるいは「銅閣寺」と言われている。

織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建された大雲院という寺の中にあり、
大倉財閥創始者である大倉喜八郎氏の別邸の一部だったのだが、
「祇園祭の鉾を一年中見られるように」という大倉喜八郎氏の願いで、
祇園祭の鉾を模した祇園閣が建てられた、ということだそうだ。


普段は非公開の寺院で、1度も公開されない年もあり、
今年は公開されるのか、いつ公開されるのか分からない。
過去の例では、7月から9月に公開されているようだが、
たとえ公開されても、内部は写真撮影禁止ということで、
建物だけでも写真に撮れれば良いからと、出かけてみた。

ところが、境内にも入れないとは思わなかった。
ということで、すべて外から撮った写真である。


屋根は、写真で見ても銅板葺きであることが分るが、
これは、金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作られたから。


高さ36メートルの鉾先には金の鶴が輝いているが、
望遠で撮っておらず、ここまでしか大きくならない。


木が茂っていて、外から見える祇園閣はここまでしか見えない。


なかなか良い雰囲気で、通りに溶け込んでいる。

境内へ入れなかったので、書く話題が少なく、
続いて歩いた近辺の話題を少し書いてみよう。


先ずは、「石塀小路」と言われる狭い通り。


京情緒漂う路地空間で、石畳と木塀の風情ある小路だ。
京都市電で使用されていた石畳を敷いたのが始まりとか。
両側には、懐石料理の店や旅館などが軒を連ねている。


次は、京都ゑびす神社(恵美須神社)。


ここでの珍しい参拝の仕方が話題になっている。
「正面お詣りの後 左側の奥へお廻りになってお詣り下さい」とある。


「優しくトントンと叩いてください」
(ゑびす様のお肩をたたくお詣りです
ノックをされるように優しくお願いいたします)
と、左側の奥へ廻ると、こう書かれている。

えびす様は長寿で耳が遠いため、こうして参拝を伝えるのだとか。


ここは商売繁盛の神様というだけあって、財布塚と名刺塚がある。

左は、松下幸之助が寄進した財布塚。
右は、吉村孫三郎が寄進した名刺塚。


ゑびす神社なので、ふくよかなえびす様のお顔で終わりましょう。


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